最近、僕は欲が薄くなっていると感じる。
モノの価値みたいなものの定義が「時間や自由を増やすかどうか」が基準になったことで買い物が減ったし
書籍も「エビデンス」or「娯楽」が購買基準になった。エビデンスの無い実用書は買わないから書籍代も相当浮いてきてる。後はPrimeのおかげ。
昔は
金儲けてでかいマンションに住むぜ!
って思ってたけど、最近は「住めればよし」になってきてる。
これは お金を使うと未来の時間が減る ということを知ってしまったから。だから時間を節約するものや自由度を上げるものは買うけど、ソレ以外は基本的に興味がない。
自由度ってのは見方は色々あるけど、娯楽の楽しみは創造的自由度を上げてくれるから創作物は購入するに値するものとしてる。もちろんそれにも基準はあるんだけど…それはまたそのうち。
とにかく
稼ぐより、コストを減らす方が楽 だと気づいたのは大きかった。
もちろん、稼ぎが少なければ節約には限度がある。これについては以前書いた通り。
過度な節約はむしろ非効率。
稼ぐことは必要不可欠だけど。コスト、というか固定費を減らして生きるのはすごく楽。
ソレ故に無駄な欲が減った
モノより時間のほうが惜しいから。
だって、時間って消費しちゃうと二度と取り戻せないんですよ?なんでモノを買うために時間を消費するんですか。
その手の「モノ」なんて、別に無くても人は死なないのに。
欲がなくなったら人生つまらないのか
そういう世俗的な欲がなくなったら人生がつまらなくなるのか。
たしかに、ちょっとぽっかり穴空いてる感じがあるのは事実。
でも最近はそれもなくなってきた。
仕事に追われて好きな洋ドラを観る時間が減ってたけど、それを取り戻したら戻ってきた。
好きな仕事を3-4時間やって、好きな果物を食べて、筋トレをして、洋ドラ見て、絵描いて寝る。
別に高級腕時計や高層マンションにすまなくても毎日楽しい。
もうちょっとゲームしてもいいかなと思うくらい。
普通に楽しいです。
友達はいないから、一人だけど。
友達いないのと、欲の話は関係ないからね。これは僕の変人性が生んだ結果で、そろそろ直した方がいいかとは思ってるけど。
その欲、本当にアンタの欲なのか?
そもそもアレがほしいコレがほしいって
資本主義を回すための仕組みが働いてるだけだと思ってるんですよね。
世俗的な欲で自分を満たすのって、誰かの人生のために自分の人生を使ってるようなものですよね。
上にゲームしたいって描いたものの、ゲームも現状は、可処分時間の取り合いで成り立ってるから
ゲームクリエイターの作った欲を駆り立てる仕組みに引っ張られてるだけ。
Dappsゲームみたいに可処分時間の取り合いにならないゲームの基盤がもっと広まればと思うけどそれはまぁ別の話。
なにはともあれ、モノを買うにもしても、高層マンションに住むにしても、本を読むにしてもドラマを観るにしても、ゲームをするにしても
自分の欲なのかどうかってのは冷静に判断するのが結構難しい問題ではあるけど
そういった事をしっかり考えて自問する事を放棄してしまっては、永遠に自分の時間を満喫する事なんてできないだろうなって
そんな事を最近思うのです。
欲に振り回されて失っているものが自分の時間だって事に
一体どれだけの人が気づいているのか、そしてそれに気づいたところで簡単に止められない恐ろしさも含めて
世の中を回してる価値観の勢いは恐ろしいですねぇ。
人と比べたり、自分の価値を装飾品に求めたりしてると、時間なんていくらあっても足りなくなるから、早めに放棄できたのはラッキーだったのかもしれない。
はたから見れば人生空っぽに見えるだろうけど、僕は好きな仕事をして、好きなドラマを観て過ごせれば十分幸せなんですよね。
装飾品で自分を飾るために嫌な仕事に時間を費やすなんてまっぴらごめん被る。
まとめると
- つまらない欲のための出費は将来の時間の前借り
- 近代の欲は「作られたもの」であり元来人間に備わってる欲求以外のものが多い
- 無くても別に困らない
- 触れてなくても、人生損したりしない
- 他人、世間が作った価値観で自分の将来の時間を削るのはどうなんだろう?僕は嫌だ。
って話
近代の刺激に駆り立てられてる人は「超正常刺激」とか知っておくとお得かもしれません。

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