いのいぬ.com ~お金と哲学と死など~

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアなどについて書くブログ

悟り体験:恐れとか不安、他人との隔たりが消えてる

さっき(2020-03-30朝)、昨日(2020-03-31)アップした予約投稿の記事を書いて。

その後、日記として筆記開示をして、考えてる事を書き出した。

内容は

  • 自分が何をしたいか

という事だった。

その後散歩にいった。

「理解されないのはわかってる。」を読んで欲しい。

お金の価値観ふっとんだ。

先日こんな記事を書いたけど。

www.inoinu.com

まだイマイチひっかかりがあって、このひっかかりはなんだろうと思ってたんだけど。

歩いてる途中に霧が晴れたように

あ、お金どうでもええ

ってなった。

理由は不明だけど、至る過程は、梵我一如的概念というか仏教的無常の概念というか、素粒子レベルで世界をみたら全部同じやんみたいな、そういうものが腑に落ちた感じ。

外界との連続感の喪失ってのはこの事かという、言語化しづらい感覚を得た。

ぶっちゃけ何も説明は出来ないんだけど。感覚として確かにある。楽だし。

恐れとか不安とか他人の目

不安とお金

僕は昔から、恐れとか不安ってものに駆り立てられて生きてきた人間だったんだけど。

その根本にあるのは「お金」の問題だったんだと思う。

それが消えた事も一つだと思う。それは経済的な自由を得たという意味で消えたというよりも、価値観がお金から「散逸構造としての役割」にシフトしたからだと思う。

人間が散逸構造であるという事を前提に、それを価値観に生きるとすれば、僕がお金を溜め込んでいても何にもならない事ははっきりしてきた。

そういう理由からかは、まだ良く自分でもわかってないけど。

お金が無い事と不安 というつながりが頭から突然、喪失した。

他人の目

梵我一如的というか、世界との隔たりみたいなものが、ぼんやりしてきた感じだと

他人という存在への恐怖も消えた。

具体的になにがどうって出来事があったわけではないけど。

なんか消えてるって事だけを感じてる。

本当に、無い。変な感じ。

これはすごく言語化が難しい。というか、無理だ。今は無理だよくわからん。

でも怖くない。

今まで、「どう見られるか」って事が結構根底にあった気がするけど、それがほんと無い。

こんな記事書いて変に思われるのが理解できてるのに、描けてるってのがもうその現れだと思う。

お金は他人に使ってもらおうと思う。

ホリエモンが…「あり金全部使え!」って本を出してるけど。

あり金は全部使え 貯めるバカほど貧しくなる

あり金は全部使え 貯めるバカほど貧しくなる

  • 作者:堀江貴文
  • 発売日: 2019/06/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

僕は使い方がわからない。

ただ、誰かにあげるという選択肢もない。

これは、心理学的にも問題だと思う。

誰かに上げるとその人の金銭感覚が狂う可能性があるらしい。宝くじとかそういうので証明されてるやつね。

だから、友人や家族にお金をバーンってあげた所で、それはいい結果にはならない。

だったらどうるすか…。

カウチポテトポートフォリオを破るか。

暴落してるからってわけじゃないけど。

ポートフォリオを株式100%にして、経済循環に使ってもらうってのが一番簡単な気がしてきた。

もちろん。僕はまだ日本の、資本主義の元で生きるので、お金が全部なくなると生活できなくなってしまうから、生活防衛費は残しておくけど。

全世界分散投資してお金を使うのがうまい人達に均等に使ってもらうって選択は、散逸構造としての人間の営みを拡大させるし、ソレがいいような。

ほんと。書いてて思うけど。絶対理解されないよなこれ。まぁいいか。

お金を使うのって難しいよねぇ。

浪費に使うのは簡単だけど、元々浪費するようなコンテンツに興味がない上に、価値観がお金から散逸構造としての役割へ…そんでそれを基盤に、こんな悟りと言っていいのか謎だけど、この一般的じゃないメンタリティを得てしまったら。使い方がマジでわからん。

これに至る過程は?

正直謎。

瞑想を長時間やってた時期もほんの少し前にあったけど、瞑想でコレに至ったとは思えない。

最近は寝る前までPC開いてるっていうよくない生活が数日続いてて、瞑想してなかったし。

どちらかというと

  • 価値観の変化(お金から散逸構造)というこのイカレた考えを発端に
  • お金の概念が重荷ではなくなったこと
  • それによる恐怖心が消えた事

このあたりがが大きいんじゃないかと思う。

もちろん。メタ認知を鍛えてるからこそ、変化に気づいたのかもしれないけど。

そう言えば、「手放す生き方」に

集会あるけど集会参加者で阿羅漢果(涅槃に至ること)を得てないの師匠だけでっせ!

え…ちょっとやだ。恥ずかしいっ!頑張って瞑想するからちょっとあっちいってて!!

って、一生懸命阿羅漢果を得ようと必死に瞑想した人が、

ぜんっぜんむり。寝よ。

って寝ようとした瞬間に阿羅漢果を得たって話が書いてたけど。

瞑想してる時はたしかに、不安とかネガティブな感情から逃れたいという意識が強かった。

その一つが「経済的な不安感」だったのは事実だし、お金関係のブログ書いてる上では隠しても仕方ないこと。

それが、散逸構造価値観理論という暴論を思いついたことをきっかけに、一気に変遷を迎えたのかも。

謎。正直ほんと自分でもまだコレをよくわかってない。

まとめ:これは悟りなのか、精神疾患なのか

ぶっちゃけ謎。

でも死にたいとか、消えたいとか、そういう事を思ってた頃とは全然違うし

他人にどう思われるか心配してた頃に比べると気持ちがすごくニュートラルだし

お金に対する不安も無いし

無駄な妄想や雑念にもすぐに気がつくし

悪い面が無い気がする。まだわかんないけど。

ぶっちゃけちょっとだけ

本当にこれでいいのか?

と頭をよぎるけど、

これでいいのだ

ってなる。

これを繰り返してる感じ。

なんだろうな。ほんと。

すごい平気だ。

アタラクシアだなぁ。

ま、また戻るかもだけど。一応記しておきたかったから。

これからどう生きるのか。

これに関しては、上の過去記事同様変わってないけど

もっとリスクは取っていいと思えるようになった。

死というか、自我という概念が、そもそもはじまりと終わりの基準ではないというメンタル状態なので。

もっと変な事をしようと思える。

表現したいものを表現し、それで人や動物やモノの心や何かしらを震わせる事が散逸構造としての役割なんだろうなってのがなんかあるので。

ほんとにね。

未だに自分ですら、何いってんのかわかんないくらいの、パラダイムシフトだよこれは。

お金お金!!って言ってた方が人間らしいよなって思えるのって変な感じ。

お金お金って言ってる人って世間的には人間として大事なものを失ってる人みたいに見られちゃうのにね。

理解されないのはわかってる。

一応最後に、これ最初に書いてるからかぶってるかもだけど。

そしてこの価値観が現代を生きる他の人に理解されないだろうなということも十分に理解してる。

虚言だと思う人もいると思う。

それでも残しておこうと思った理由は、悟り研究に目を通して

その感覚が絶対的に、永遠に続くものではないという事を知ったから。

また、元の感覚に戻るかもしれないので、もしまた自分が、元の自我中心の感覚に戻った時

あの時どんなんやっけ…と思い出すきっかけになればと思って。

もちろん、こういう話に興味のある人が、なにか掴むきっかけにもなれば幸いですが。

戯言だと思っておいてくだされ。あんま、本気にしないで。本気にされすぎてもぶっちゃけ困る。

なぜ今、仏教なのか――瞑想・マインドフルネス・悟りの科学

なぜ今、仏教なのか――瞑想・マインドフルネス・悟りの科学