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絵本「生きているのはなぜだろう」ー科学と東洋哲学との関係性

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どうも井上です。

今日は「生きているのはなぜだろう」のレビュー。

ボクの尊敬する東京大学で海馬の研究をされてる池谷裕二先生と、尊敬しているコンセプトアーティストの田島康二さんによる絵本。

人が生きている理由を科学的、熱力学の観点(でいいのかな)から解き明かした絵本。

東洋哲学との共通点を感じたのでそれについても描いていきたいと思います。

ちょっとでかすぎる話なんで、よくわかんないとスピリチュアルチックに聞こえちゃうと思うんですが、紀元前から存在する思想と科学のお話です。

非常に面白い絵本なのでよろしければ是非。

結論:生きているのは「宇宙のエネルギー循環効率」を上げるため

この絵本の中では「散逸構造」によって生じたエネルギー循環効率をあげるための「秩序」が「生命」であり、私達「人間」もその一つであると説明されています。

こう書くと意味不明ですが。本書の中でわかりやすい例が出されていたので引用します。

人間は、水で例えるなら「排水口に流れる渦」である

水が排水口から流れていく時、渦を形成するのは効率よく水が外に流れていくためです。

宇宙は誕生してから、無秩序へと進んでいっており

この世界を形成しているエネルギーや原子(以後エネルギーに統一します)は、水が排水口へ流れていくように、宇宙の無秩序へと向かう流れに逆らう事はできません。

我々はその中で形成された秩序。

これは散逸構造と呼ばれるもので、我々人間(生命)は効率よくエネルギーを循環させるために無秩序の中に生じたものという事ですね。

水が流れていく時、渦を止めるように逆回転させれば水の流れは遅くなります、秩序が発生しなければ無秩序への流れは遅くなるのです。

我々は生きているだけで、水の流れのように自然な「宇宙の無秩序へと進む勢い」を加速させるために発生した存在であるという事です。

ボクは、この話を読んでピンときたものがありました。

梵我一如との類似点

それは東洋哲学、元はバラモン教(ドラクエに出てきそうだけど関係ないよ)の根本思想である「梵我一如(ぼんがいちにょ)」です。

梵我一如とは東洋哲学の思想で

梵とは…ブラフマン(宇宙、万物のすべての原理)
我とは…アートマン(我(定義が難しいけど「わたし」を支配している原理)

でそれらは一つであるという思想です。

シンプルに言えば「宇宙と我々は一つである」という事ですが、こう書くと謎のスピリチュアルな発言みたいですね。書くのイヤだったんですけど…。

で…この「我」の定義が難しいんですよね。

哲学者のデカルトは「我思う故に我あり」という言葉を残しています。

これはデカルトが「真に疑えないものとはなんだ」と突き詰めていった結果、「今考えている自分自身は疑いようがなく、その疑いを疑っている私も疑いようがない」という状態を表現した言葉です。

つまり「疑いを抱いている、自分の思考そのものを疑う事はできない」という事ですね。これが「我」の概念に近いのではと個人的には考えています。

自分の思考を俯瞰する事をメタ認知といいますが、「我=アートマン」としての「わたし」は物質的に我々が考えている「私」と少し違っていて、メタ認知のように、もっと知覚的なものかなぁと。

メタ認知が存在する時、感情に揺れ動かされている「私の上の認知としての私」が存在しているという事で、また、それを認識している私を作り出すことも出来るので、言ってると何言ってんのかわかんなくなるやつですね。書いててもわかんなくなってきました。

とにかく、我の定義が難しいとはこういう事で、自分が観測している認知の最終ポイントが「我」?って事でいいでしょうか。これでもまだ「?」ですが。

物質的な「個人」としての私ではなく、この絵本の中にあるとおり熱力学的に捉えた「私」

つまり、エネルギーの構成で一時的に発生している私と捉えると梵我一如の我の定義が少し掴めそうな気がしてきました。

物質としての「私」の終わりと、「我」の終わりをイコールとして考えると、梵我一如の理解は難しいものです。

しかしエネルギーのレベルで考えると我々人間は、排水口に流れる水の勢いを加速する渦でしかない。

これは梵我一如の言うところの「宇宙」と「我」の原理が同一であることを科学が示したこととも捉える事は可能ですし、物質としての私ではなくエネルギーとしての私と捉えるとこの思想を受け入れやすくしてくれそうな気がします。

こう書くと哲学思想に詳しい人には「コラ!」って言われそうですが、構成要素(量子、原子)はもともと同じ存在から発生してるんだよ~って話みたいな。

まぁ梵我一如側の言ってる事は、たぶんそういう物質的観点(と言って良いのかわからないけど)ではなく、もっと精神的というか感覚的なもののような気はしますが。

理解が難しすぎる思想なんで上のように、元は同じものさ~って感じで捉えております。科学的な捉え方の方がすっと入ってくるもんで。

ハイキューで「俺たちは血液だ!」とか言ってましたけど

まさに僕らは宇宙の血液の一部のようなもの。ということですね。

で?結局何よ。自分が生きて、それで宇宙の無秩序が加速したからなんなのよ。

とはいえ結局何よって話です。

個人レベルで見れば、でかすぎて科学かオカルトかもほんとわかんなくなるレベルの話。

物質かエネルギーかという話をされてもしっくりは来ないけど。

僕ら人間が「大きなモノ、宇宙」の「一部」である事を理解する上で良書でした。

東洋哲学側の知識しかなかったボクは、梵我一如はに対して「結局思想だからなぁ」という思いしかありませんでしたが。

科学的な理解がつながると、納得感が強まったわけです。思想を信仰するとかそういう事ではなく、「科学で言う所のこの話をしてる思想なんだな」って事を理解したって事ですね。あくまでも今現在のボクの理解ですが。

その上ボクの尊敬する池谷先生の本ですしね。

ただ、わかったからなんなのだと言われるとあれなんですが…。

そうですねぇ…。

畏敬の念を感じる事は身体にいいそうですから、自分が宇宙の一部であるという事を理解するのは身体にいいんじゃないですかね(雑

哲学やでかすぎる科学的解釈は個人レベルで考えると、個人の知覚に委ねられすぎていて、それがなんだって話になっちゃうんですよね。。

というわけで、この話を聞いて……

  • 「生きているだけで意味があったんだ」と思うのも良し
  • 「東洋哲学って現代科学の先を言ってたんだ。すげぇ」って思うもよし
  • 「俺って宇宙の一部なんだな」って畏敬の念に浸るのもよし

どんな思考も情報も最後は自分のメリットになるかどうか。ならないと思うならスルーで良し!

ともあれ、「生きている意味」に悩んでるんでる人は超自然的な観点から自分の生命の意味を捉えるのは、新しい視点を得られるので良いと思いますよ。面白い本なので是非。