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死:人生の「時間」を相対比較すべきではない:ジャネーの法則

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今回も死について。というか時間について。

今日は、かじった程度なのですが、ジャネーの法則について。

ジャネーの法則について

時間とは、物が動くことによってそれを計測するために後から発生しているものにすぎず

絶対的な時間というものが存在しているわけではないとかなんとか。

その上、我々人間は感覚として時間の長さが変わることも経験則として知っています。

そんなところに目をつけたのがこのジャネーの法則。

詳しい話はボクも理解できてないので省きますが、若い頃の方が時間って長いから、年齢を重ねる事と、時間の経過はイコールじゃないよねって話。

例えば。

0~10歳の時間と、60~70歳の時間は長さが違うって話。

言わずもがな0~10の方が圧倒的に長い。

計算方法は高校以降数学をやってないボクにはちょっと「?」な内容だったので理解には復習が必要そうであったため、省きますが

早見表を作ってくれてる方がいたのでご参考にどうぞ。

ahiru8usagi.hatenablog.com

ボクは30半ばですが、この早見表によると人生の「7割」は終わってるとのこと。

ジャネーの法則対策に「あたらしいことをする」という理論についての反論

ジャネーの法則対策として「あたらしいことを経験すれば時間感覚は長くなるよね!」ってな主張があります。

ボクはこれに反論したいのです。

あたらしいことをするというのは、少なくともストレスがかかります。

あたらしい経験を積むのは良い事ですが、その理由が「時間を長くしたい」である場合、目的と手段がおかしな事になっているのではないかと感じるからです。

多くの時間ストレス状態である場合、年齢という意味での時間が短くなる可能性も多いに考えられます。

習慣を変える時に重要なキーワードとして度々でてくる、ホメオスタシスやコンフォートゾーンですが、これは人間の生命維持のための機能でもあります。

「年齢」という概念に囚われた結果であったり、「時間」という概念に囚われた結果、本当の意味での「長生き」とは誤った、ただ数字を伸ばす事に意識を向けてしまう事は「長生きした」と言って良いのかという疑問がわくわけです。

故に、時間感覚を長くしたいから、あたらしいことをするという選択肢は、滑稽にも思えるのです。

まぁそれに、そもそも子供の頃の新体験のようなレベルの新体験なんて大人になった後に出来るものではないですからね。おそらくその程度の抵抗、微々たる変化しかもたらなさないのではないでしょうか。(よく調べてないから知らんけど

若くして死ぬと不幸なのか

ジャネーの法則を例にとって考えると。

人生の大半の時間は20代で約半分終わっています。

30代になれば40代で7-8割。

20代、30代で死ぬというのは不幸 のように取り上げられがちですが。

時間感覚でいえば、人生100年と考えたとしても半分以上は終えているわけです。

そもそも、人生を年齢という数字で平均値と相対比較して、長いか短いかで「良し悪し」を判断するのがそもそも誤りではないでしょうか。

その人の人生は、その人が生まれて死んだ日までがすべてです。

それが長かろうが短かろうが、関係ない。

世の中に何かを残していようがいまいが、それも関係ない。

僕らはただ、宇宙のエントロピー増大を手助けするための仕組みの一つとして生命という個体になっただけで、本来は世界の全体の一部であるという話は、科学でも宗教(原初仏教)でも言われている事。

そこが長かろうが短かろうが、その価値を与えているのは人間の、世界規模でみれば小さな小さな尺度にすぎず

こんなものにそもそも縛られる必要はないのではないでしょうか。

人はいずれ死ぬという事実は変えようがないわけで

それ(死)を受け入れる手段の一つとして年齢より「ジャネーの法則」を使うというのは、納得を得るための手がかりとなるかもしれません。

平均の7割体験できたなら、まぁいいかなぁくらいな感じでね。