孤独死心配してる人が多すぎる気がするんですが。
これはなんかの策略なんでしょうか?
結婚を急かすための陰謀か!!!
って事で孤独死心配しすぎんなよって話。
孤独死だろうがなんだろうが、死んだ後の事心配する必要ってないと思う
孤独死だろうがなんだろうが、死んだ後の心配するってどういう事なんですかね。
死んだら心配もクソも、自我が消滅するであろうと思われるわけです。
であろうってのは、死んだことがないからわからないってだけで。
かの哲人ソクラテスも、「死がなんだかわからんくせに怖がるのって変じゃね?」
って言葉を自身の処刑前に遺したとかなんとか。
よくある「死=無」というのも我々の想像、仮説にすぎず、実際どうなるかなんてなってみなきゃわからんのです。
そんなわけわからん状態になった後の事を心配するって、ちょっと心配しすぎじゃないですかね?
孤独死の対策として「結婚」は絶対ではない
孤独死の対策として「独身からの脱却」を目指す人が多いようですが。
これちゃんちゃらお門違いもいいとこで、なんの問題解決にもなってないと思うんですよ。

- 作者: 小谷みどり
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2016/04/01
- メディア: 新書
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配偶者がが先に死んだら?
まず、配偶者が先に死ぬ可能性、ありますよね。
一緒に事故死でもしない限り高い確率で片方は相手の死を看取ることになります。
つまり、結婚によって得た将来の伴侶は自分の死を看取ってくれる相手にはなりえないので、孤独死を回避することと結婚は結びつかないわけです。
子供が先に死んだら?
子供がいるじゃないか!って主張はもちろんありますけど。
子供が先に死んじゃう可能性だって十二分にありますよね。
子供ができないかもしれないし。ウチの姉夫婦は不妊です。
子供が家出てっちゃうかもしれないし。
県外や海外に出ていく程度のことでも、自分の死を子供が看取ってくれる可能性はぐんと下がります。
その時、アナタは一人で死ぬ事になるわけですな。
身寄りのない仏になるより、葬式さえあげてくれればなんてのは、宗教観の話であって
現実問題としての「孤独死の回避」とは論点がずれちゃってますもんね。
死ぬ時に、そばにイてくれる人がいるかどうかが孤独死であるかないかの定義の分かれ目なので、子供は孤独死回避のための要素としては配偶者とトントンかソレ以下でしょう。
地方の衰退が進む昨今、今後の若者はどんどん都市部、海外へ行ってしまうでしょうしね。
恐れというネガティブから結婚を選択するのはいかがでしょうか。
ソレ以前に、孤独死への恐れから、結婚を選択するというのはいかがなものなんでしょうか。
結婚ってそういう理由でするものなんですか?
これも世間の作り上げた価値観だと思うんですが、「結婚すれば幸せ」と同様に「結婚すれば孤独死から逃れられる」ってどっかで謎のロジックが出来上がって当たり前のように世間を闊歩してますよね。
結婚は、本気でその人と一生一緒にいたいと思ってした方が良いですよね。
ネガティブな恐怖心からではなく。
そんな理由で結婚相手探してたら、見る目も狂うでよ
孤独死への不安は「PCの中のエロ画像消してくれ」 レベルの話
ぶっちゃけ、孤独死への不安なんて
「俺が死んだら、PCの中のエロ画像を消してくれ!」レベルの話。
人間死ぬ時は一人。
それを覚悟できてこそ超人よ。
自分が死んだ後や死ぬ寸前の恐怖なんて、そんなつまらない恐怖や不安に怯えるより、超人目指そうぜ。超人。
孤独死なんて妄想の中の未来を心配するより、今の自分の人生を生きた方がいい
そんな孤独死なんて、まだ来てない未来への不安を消すためにつまらん努力をするくらいなら
今の自分を生きた方がいい。
目の前の問題を解決した方がいい。
コントローラブルな事に集中した方がいい。
未来はアンコントローラブルだ。
もしかしたら死なない未来が来てるかもしれんしね。しらんけど。
孤独死への恐怖の解決法は唯一
- 恐怖(感情)のコントロールを学ぶ
これだけ。
コントロールできるのは常に自分の手の届く範囲の事だけ。
手が届かない事を変えようとするから恐怖心が湧くんじゃないですかね。
未来をコントロール出来るわけないじゃないですか。何がおこるかわからないのに。
そんなものに時間を割くなんて損ですよ。
この手の解決におすすめメソッドはACTです。
では。今日はこの辺で。