隠れて生きよ ~いのいぬ.com~

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアや哲学などについて書いてます

浪費しないと退屈で死ぬ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

暇と退屈の倫理学では

人間は暇になるものだから、浪費しないとアレやぞ。

みたいな話をしてる。

過去の哲学者の暇克服論

パスカルは 神への信仰をしろ

ラッセルは情熱を向けられるものをやれ

ハイデッガーは決断せよ

という事で、この著書の著者は「浪費せよ」となってる。

消費は貯まらない。浪費はやがて溢れ、満足を産む。

消費は何もたまらない。必要あって行う行動だから、消費行動は永続的に続く。

方や、浪費は無駄なものだから、受け取り続ける事になる。

それを贅沢と呼び、その贅沢も、許容範囲を超え、溢れ始めた所で「満足」となる。

という事らしい。

浪費を行うことで、人は満足感を得るのだ。と。

それは退屈では。

僕は、著者の主張も一つ正しいと思うが、

この話では、際限が無い事を証明しているにすぎず、結局永遠の暇つぶしこそが人生だみたいな、その辺の芸人でも言ってそうな話になってしまう。

まぁ、哲学なんて所詮そんなものだし、それはそれでいいんだけど

満足は、新たな退屈を作る。

退屈を作れば、また新しい満足を求める事に、浪費をすることになる。

このサイクルは、面白いのか、それとも面白くないのか、難しい所だ。

足るを知る精神の真逆…という事でもない

この著者の論理は一種の足るを知る精神の真逆を行くものだと思うけど

かといって、足るを知る精神においても「自分が大事にしているものは追求する」という姿勢を持つのだろうから

その大事にしているものというのは、そもそもが消費ではなく浪費だったりするわけだ。

だから、別に相反してるわけではないと思う。

足るを知る を実行しつつ、 浪費をする事は可能で

その浪費の選択を、自問してるかしてないかは分水嶺になると思う。

何も浪費できない事は退屈で死んでしまうかもね

僕も時折、セミリタイア論で、ちょいちょい話してる事だけど

暇は地獄だ。

「消費と浪費をわきまえて、浪費せず、投資をしましょう。」

確かに正しいが、これも度が過ぎれば、退屈を産む。

節約思考に対しても「足るを知る」が重要という話しなんだろう。

何事もほどほどに。

まとめ

  • 贅沢(浪費) は退屈を消してくれるから、浪費を楽しもう という哲学もありだと思う
  • 退屈(暇) はとにかく地獄
  • 分をわきまえて、節約も浪費もほどほどに

このラインをどう引くかってのは、ほんと個人個人の選択によるところだと思うけど

無駄を楽しむ器量ってのはホント大事で

また、ラッセルが言うような、高尚な楽しみを理解できるだけの知識を持つ事も一つ大事だろうと思うし

人間関係や、動物とのふれあいによる、ごくごく平凡な楽しみも大事だろうから、

浪費といっても、時間を浪費する事も楽しみを作る一つだったりするわけで、何もお金に限った事ではないのだろうなとそんな事を思ったりするわけです。

最後に。

何事もバイアスにハマって、新しい考えを受け入れないなんて事に陥らないようにしなきゃいけないわけですよ。

信念バイアス(論理的に正しくても、自分の信念に反する場合受け入れない) とかね。

クリティカルに自問して、いちいち息苦しく生きないようにしないとですな。