隠れて生きよ ~いのいぬ.com~

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアなどについて書くブログ

人は絶望する生き物だ

気づけば、キルケゴールの言う絶望の道を見事に歩んで来てしまったらしい。

絶望について、改めて考える

絶望

キルケゴールは絶望を三段階に分けた。個人的な解釈がまじるが以下の通り。

  • 美的実存 … 快楽や美など、利己的な欲を生きる段階。挫折により絶望
  • 倫理的実存… 倫理や正義感など、おそらく利他的な欲を追う段階。普遍的な倫理感のつかめなさに絶望
  • 宗教的実存… 神と一対一で対話し、自分を取り戻す。

美的実存は、世俗的な欲を反映している段階といえるため、イメージし安すぎるので割愛。

倫理的実存は、いわゆる聖人的な生き方を模索し始める段階で、宗教家であったり、お金稼ぎまくった結果慈善事業に投資し始めたりする、あの段階。

これは心理学的に、他社貢献の方が幸福感を得やすいという人間の心理の仕組みに沿った考え方ではある。が、これも結局虚無である事に気づく。

最後、宗教的実存。これはキルケゴールが「有神論的実存主義」を説いている人物であり、時代的にもキリスト教のちからが絶対的だった頃であるため「神」という定義が出ているが

観念論的な思考で捉える方が、現代人には合っていると思う。

これをうまく説明する言葉が無いが、全体を循環しているため、一は全、全は一的なやつ。

  • 物理的な意味での絶対観
  • 西田哲学の絶対無
  • ウパニシャッドの梵我一如
  • 仏教の諸行無常や色即是空 … など

形而上学的なものとして考えるより、物理的に循環してるから、一部は全部だよね的な捉え方がベターだと思うけど。何を信じているかとか、どう考えているかは特に重要ではなく。

「存在しない絶対的な価値を定義する上で、自分が心底信じられる何か」にすがるしかないという話。

僕は物理的な循環として、宇宙のエントロピー増大の一部として生きてるという宇宙論的な考えが現代的だし、合うなーと思うけど。

これは厄介すぎるので、他人に言うならば、「諸行無常、色即是空を学べ」の一言で済ませる方がいいのかなと思ったりもする。

とりあえず。

お金、名声、他社貢献、生きる原動力としてなりうるあらゆる物事に対して疑いを感じてしまった結果、すがるべき価値を見いだせなくなった場合、

絶対的な真理として何を信じるかは、観念論的な根源は同じであるという考えに行き着くしか無い。という話。

完全にここに来てる。

でもまだ、倫理的実存と宗教的実存の間な感じはするけど。

倫理的実存の段階の生き方を実行すればもっと楽なのではないかと、思う事しばしば。

でも、それは結局、「他人がどう思うか」という事で同義なので

アドラー的に言えば、課題の分離ができていない段階だと捉えることもできる。

結局は存在を存在たらしめる、元々のきっかけはなんだったのか…と考え、それが何の意味もないただの自然の摂理の一つであると理解し

その上で、何を信じるべきか自由に(この自由こそ絶望の根源でもあるが)選択するしか、絶望を回避する方法はない。

お金や承認といった「信ずるべき虚構」に騙されたままで生きている方が。

まだマシだったりするのかも。なんて思ったり。

とはいえ、それを信じた所で、得られたものだけが幸福を感じられるシステムなのだから、結局篩いにかけられざるを得ない。

うまく行けば幸福だと錯覚し、やがて倫理的実存に至り。

うまくいかなければ、倫理的実存にいこうせざるを得ないか、もしくは絶望の中で人生、または人の道理を降りる決断をする。

虚構と曖昧さと危うさで、不安定なシステム。人間社会ってのはどうにもこうにも、といったところ。

死にいたる病 (ちくま学芸文庫)

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