隠れて生きよ ~いのいぬ.com~

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアなどについて書くブログ

瞑想と僕。心の問題はヴィパッサナー瞑想で解決するのが簡単だ

なんの因果か、結局ここに戻ってきた感がある。

少し自分の事を書く。もうこのブログも終焉を迎えかかっているので何も樹にしてない。

思えば、最初に瞑想を知った当時、僕は大学生、4回生の中頃だった。やってない期間が結構あるけど、出会ってからもう10数年になる。

MMO廃人からの留年

オンラインゲームにハマって留年し、もう人生どうにもならないという悲観にくれていて

頼みの綱は、音楽(DTM)と、少しだけ子供の頃に褒められた事がある絵だけだった。

音楽では少しCDを作るくらいの所までは言ったものの、あまりパッとしなかった。自分は自分の曲が好きだったけど。

かといって、絵はほとんど素人。どう考えても感情的には音楽を選ぶべきだったのだろうけど。

生きるという上では、音楽は選択肢として存在していなかった。

音楽で飯は食えなかった

その当時、(今もそうかもしれないけど)音楽をお金に変えるというのは指南の技で

ほとんど不可能に思えた。

今でこそDL販売のプラットフォームができてきてはいるが、それでも飯を食うのは相当大変そうに見える。

それに比べて、絵は簡単そうだった。

あくまでも直感的にそう感じただけだし、今思えばただ素人目にはそう見えた、というだけだったのだけれど

「絵なら食えるかもな」

と思えて絵にシフトした。

当時大学3回生、21歳の年末だった。

記憶力があげたかった

瞑想に出会ったのは、本屋をぶらぶらしていた時だった。

瞑想という文字を見かけて

「なんかかっこいいな」という思いで立ち読みをしたのがきっかけ。

その中に「記憶力があがる」という節の一文を見つけて、飛びついた。

僕はその頃は、体験による記憶を積み重ねる事が学習にとってもっとも重要だと感じていたし、才能は努力で補えると思っていた。

これは今思えば、まったくもってお門違いというか、そもそも比較をもってして自己優位性を担保しようとするあたり、ガキだったのだけれど

それはそれとして、記憶力がつけば、二十歳すぎてから描き始める事でも先人達においつけるかもしれない。と思いはじめたのがきっかけ。

その本に書かれていた瞑想は、今思えば宗教臭が強く、他人にすすめられるような内容でもなかったのだけれど

毎日コツコツ続けていた。

社会人になってやらなくなる

その後、2年、当たり前だが卒業せねばならない年が来て仕方なく社会人になる

もう一年留年しそうな状態で、というか6年が限界の大学だったんだけど、3回生の時教務課からは「卒業はおそらく無理だろう」と親に告げられていたような単位の取得状態だった。

それをなんとか5年で卒業したため、就活なんてする暇もなく。

もとより。前述した通りのモラトリアムばりばりで、落ちまくった精神状態だったために就職なんて死んでもしたくはなかったが

お金がなければ飯は食えないという事で

親の援助も継続してもらいつつ、就職し、

案の定、メンタルが持たず、半年で退職する。

その後、半年間瞑想をする

一ヶ月ほど、放心状態で過ごしていたものの、このままではまずいと

とりあえず、多少は描けた絵の技術を使ってなんとか日銭を稼ぐようになった。

アシスタントをしていたが、完全な雑務で、親に携帯代と光熱費を払ってもらって、やっとこ生活ができていた。

完全に、このままではまずい。なんとかして、一人で飯が食えるようにならねばと

投稿用の漫画を描き始める。

しかし。メンタルが持たない。

そんな時、本棚で見つけた、過去に数冊買った瞑想の本を掘り出して

ヴィパッサナー瞑想を始めた。

ヴィパッサナー瞑想とは

現在ではマインドフルネス瞑想という方が主流なのだろうけど、マインドフルネスは幅が広い。

ヴィパッサナー瞑想は、行動や感覚を言語によるラベリングをするところから始まる。

これはあくまでも初級者向け、または注意が散漫になってしまっている時の「錨」として言語を用いるのであって、言語は必須のものではない。

あくまでも「現在に気づく」のがヴィパッサナー瞑想のポイントになる。

頭に不安や恐怖が湧いたら、クソ遅く歩きながら、足の感覚を感じるという方法で行った。

今思えば、こんな事をせずに、外を普通に歩きながら足のうらの感覚や肌、音、光などをラベリングするほうがどれだけ健康的で、運動効果も得られて一石二鳥だったかと思うけど。

当時、僕には科学的な脳や心理への情報が欠如していて、頼れるのはこの瞑想の本くらいだったもので

とにかく、ゆっくり歩いて思考を止め続けた。

思考が止み、落ち着いたら、原稿を描き

また不安や恐怖に襲われたら、立ち上がってゆっくり歩いて、足の感覚に意識を向けるヴィパッサナー瞑想を続ける。

それの繰り返し。

その後、漫画家になる

その後、なんとか漫画家になり、紆余曲折あって飯が食えずに死ぬなんて事にだけはならずに済んだわけだけど。

結局、記憶力があがったのかは謎だし

昨今ではヴィパッサナー瞑想(オープンモニタリング瞑想)で拡散思考があがってアイデア力が…なんてデータもあるらしいけど、それも謎。

再三書いてきてるが、比較対象としての他人が存在しなければこれを推し量る事はできないし、そもそもアイデアの質を図る定量的数字が無い。

昨今鬼滅の刃ブームで「興行収入が!」とアホほど聞いたが、これも作品の質とは関係がない。作品のヒットは、今回の場合コロナなどのタイミングが重なっただけで、ヒットとは基本偶然でしかないからだ。

瞑想を体験して何を得たのかと言えば

「良くも悪くも、妄想を止めるスキルが身についた」という所だろう。

この世界はすべて妄想。思考を止めろ。

当時、僕はいまいち理解していなかったけど

僕たちが感じている感情は、事象そのものが発している何かではなく、事象そのものに対しての僕たちの反応でしかない。

これが理解できると、瞑想の価値が飛躍的に高まる。

思考を止めるための技術がわかれば、一切合切、世の中をそのまま受け取る事になる。

無感情になるわけではない。

ただ、すべて受け入れた上での反応ができるという事。

また、良い事でさえ、渇望による苦を生み出すという事もここ1,2年の哲学探求から学んでよかった事の一つ。

つまるところ、よくも悪くも、無思考的に自動的な反応しつづける限り、人は永遠に苦しい人生を送らねばならない。

とくに、思考の癖が僕のようにネジ曲がった人間は。

だから、目の前の事象、今現在の感覚に意識を向けて思考を止める事で、本物の開放感を得る事ができる。

快感も不快感も、自動的に反応していれば、すべて苦痛になるんだ。

ヴィパッサナー瞑想を続ける

悟りとか、無我とかそういう世界の感覚はさっぱりわからないけど。

やっぱりこれが一番楽だと思った。

心理療法も学んで、それはすごく即効性のあるツールとしてこれからも使っていくと思うけど

ACTやマインドフルネスストレス低減法なんかは、むしろ瞑想を輸入してる心理療法なので、中身がまさにソレだったりするわけだし。

筆記開示は、文字を書き出すのが好きな自分にはあっているし。

とにかく。

ヴィパッサナー瞑想は紙もペンもいらないし、日常生活を送りつつできるという万能ツールでもあるところがやはり良い。

ただ、日常生活を送りながら、「日常の動き一つ一つ」「体の感覚」「妄想」や「怒り」へのラベリングをしつつ、慣れてくればその言語をもステて、ただ気づき続ければいい。

本当の意味で体得すれば、かなりメンタルは楽になるんだろうなと。

そんな期待をしつつ。これからも続けていくと思う。

ヴィパッサナー瞑想のオススメ書籍

興味がある人はこの辺を。

どうしても仏教的戒律についても書かれていたり、その厳しさ故に科学的にどうなん?みたいな文言が含まれてる内容の書籍が多いがその辺は読み砕いて読んでもらえればと思う。

うちみたいな端っこブログにたどり着いてる人なら、おかしな(というと怒られそうだけど)内容、宗教的な道徳観と現在証明されてる科学的事実等との比較と取捨選択は可能だと思うので、あまり心配はしてないけれど、念の為。