ヴィトゲンシュタインが言っていたように
言葉の定義が曖昧なままで議論は進められない。
それ以上に
言葉の定義「違う」場合
同じ文章でも解釈はその定義をもった人、それぞれによって変わってくる。
「死とは何か」を論じる時も、その「死」の定義の解釈によって、考え方も捉え方も変わってくる。
では、
我々が何か、というよりも世の中の普遍的な、非普遍的なものもも含めて、真実のうちに理解するにはどうすれば良いのか。
答えはブッダが出している。
「あるがままに見よ」
これに尽きる。
そこには善悪はもちろん、解釈の違いも存在しない。ただそこにソレがそう存在したという事実を、淡々と受け止める。
過去も未来もない、それは妄想でしかない。
目の前で、一瞬一瞬起こっている事象をただ、淡々と受け止める。
これが、ヴィパッサナー瞑想というもので、修行でもなんでもない。
ただの集中だ。
しかし人間は言語的解釈をもって事象を理解しようとし、それによって感情や過去未来を妄想し、苦悩に至る。
目の前の事実のみを受け止めれば、苦しいも辛いもない。
そこにはただ、事象があるだけなのだから。
それを苦しいと思っているのは、「自分の思い込み」だ。
言葉では理解されない
サピエンス全史の著者、ユヴァル・ノア・ハラリ教授の瞑想についての解説だが
大衆の顔を見ればわかるし、レポーターも(これは仕事だからなのだろうけど)完全に茶化して場を盛り上げようとしている。
言葉でそれがそれであると伝えるのは、困難であり
そこには普遍的、完全なる一般共通性をもった定義を作るのは不可能なんだろう。
だから、瞑想について昨今取り上げられる際、「利益主義的な」ビジネスで成功するだの、記憶力がよくなるだの、そういった話が先行してしまうのだろうが。
これはただ、日々の意識的集中によって、脳が鍛えられマインドフルネスレベルが若干ずつ、向上しているにすぎない。
そして、瞑想の真はそこにはない。
妄想により人生に苦悩する事をやめるための技術であり、これら副次的な現象が起きるのは当然だ。
妄想による苦悩に使っていた、脳のリソースが空くのだから。
返信
ありがとうございます。
でも普段は、シモネタしか喋ってませんよ。

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