マズローの欲求5段階説
これは非常に有名で、よく
「下から満たされていくもの」と解説されることがあるが
これは実は誤解だったりする。
強制収容所にて
心理療法家のヴィクトール・フランクル。
彼の代表作「夜と霧」はナチスの強制収容所での体験を書籍として記したものだが
圧倒的に生存も安全も、いわゆる物質的なものが満たされていない状態の中で、収容所無いで生き延びた人達は
屈強で外交的なものよりも、繊細で内的に自己の精神とつながっている人達だったという事が記されている。
これはスピリチュアルなもの(ユダヤ教の人達は神様を信じているので日本人の感覚とは少し違うが)も含まれる。
マズローの5段解説の最上段
マズローの5段階説も、最上段は「自己実現」で締めくくられているが、これには「自己超越」という項目が記される事もある。
精神として自己を捉えた時の、自分自身の存在を、実存的存在としてのみ捉えるのではなく、何かもっと意味があって生まれてきたのでは?と考えるようなもので、その精神的意義と自己の存在がリンクするような状態だろう。
信心深い人によっては、それは神様であったりするのだろうけど
僕ら日本人にその感覚は合わない。
日本古来の文化である神道的な考え方で言うならば、「自然」と置き換える方が的確だと思う。
いわゆるBeingの状態であって、瞑想や悟りの世界に通じる考え方だと思われる。
とりあえずこの「自己実現」と「自己超越」はソレ以下の物質的に、というか自己の外の現実として満たされている状態とは
別の欲求である。
お金、モノは幸福と関係がないのだろう
フランクル自身が、ナチス強制収容所での体験を元にマズローに質問を投げかけた際、マズロー自身もそれを認めている。らしい。
つまるところ
精神的に満たされていれば、自分のやりたい事を明確にしてそれに没頭できていれば、自身の現状に何かしらの意味を見出していれば(それがこじつけであっても)
おそらく人間は幸福でいられる。
いちいち幸福に条件をつけなくていい
要は「幸福は気の持ちよう」だって事。いつもどおりの話。
敷いて言えば、自己超越、自己実現による幸福を得るためにやれる事は何かって話くらいで
- メタ認知を鍛えて、マインドフルに、目の前のことに集中して生きろ。
って話に落ち着きそう。
つまるところ
「アレが無いから幸福ではない」「こうじゃないから幸福ではない。」と自分の幸福の条件を外の状況によって定義づけしなくても
自分が幸せだと思ってるなら、それで幸せなんだという事。
それについてイチャモンをつけてくる人はいるだろう。
負け惜しみだと言ってくる人もいるだろう。
しかし、関係がないのだ。
幸福は自分が決める事であり、自分が感じる事なのだから。

- 作者:ヴィクトール・E・フランクル
- 発売日: 2014/11/07
- メディア: Kindle版