快楽は執着を産み、執着は苦しみを得る。
苦しみは渇望を作り、渇望は快楽を叶え、またその快楽は執着を有無。
これの繰り返し。
抱えるものが多いと、人間あれもこれもと常に外の世界に意識を向けて生きる事になる。
しかし、本質的な「快」は内省によってしかもたらされない。
執着によって移ろっている事に気づき続ける事、心理学的にはメタ認知の視点を持つこと。
これのよって、やっと足を止める事ができ
求める心から解放され
「生きてるだけでもいいんだな」と思えるし
死ぬ瞬間には「よく生きたな」で負えられる。
抱えるものを減らそう
死ぬ瞬間。抱えるものが多ければ多いほど
「アレもやっておけばよかった」「もっとああしておけばよかった」「自分が死んだあと、あの人、アレ、コレはどうなるんだろう」
と後悔を抱えて死ぬ事になるし、内省の癖がついてなければ、不自由さの中で息苦しさを感じながら死ぬ事になる。
余計なものはどんどん捨てて、身軽に生きようか。
小さく小さく。
余談
近所の寺で、年越し坐禅会やるらしいので行こうかなぁと思ってるんですけど。
午前0時直前からなんですよね。23時前には寝てるからなぁ。
大晦日くらい夜ふかししようか。これもコミュニティ活動
なんにせよ、僕くらいの若い人はいないだろうけど…w
返信
前職は、ネットのテクニカルサポート業務と短期間の事務です。
特別面白みもなくて申し訳ない。