反応しない練習のレビューにこんなのがあった。
「 仕事なんてくだらない。うまくいかなくたっていい」と考えるサラリーマンはクビだ
努力幻想
こういうのは基本努力の幻想で
必死に努力すればうまくいくという考えに基づいていると思う。
しかし、これにはバイアスがかかっている
いわゆる、生存者バイアスというやつで…「うまくいった人は必死に問題と向き合って努力してきたんだ!」という思い込み。
残念ながら違う。
努力幻想:結果は運
結果は、努力したかどうかは関係ない。
努力しなくても、うまくいくときはうまくいくし、努力してもうまくいかない時はうまくいく。
そもそも、このレビューのような考え方は、努力の定義が間違っている。
頑張っている事を努力としているが、頑張ってるかどうかなんてエンドユーザーには関係がない。
漫画もゲームも、アニメも映画も、クリエイター業以外のあらゆるプロダクトも
開発者が必死かどうかって事と、売れるかどうかは何の関係もない。
下町ロケットのような意気込みだと結果上手くいくみたいな、サピエンスにありがちなストーリーこそ正義的な思考だろうけど、フィクションと現実の混同、自己啓発の読みすぎだろう。
自己啓発本はストーリーだ。人間はストーリーでしか物事に共感できないようになってるので止む終えないが、努力幻想が発生するのもこのせいだろうと思う。
これについては、ロザンの菅ちゃんがいい解説をしてるのでよかったらどぞ。
努力幻想:努力とはやるかやらないか
結果がどうかは思考には関係がない。
ではどうするか
- 淡々とやる
これだけ。
反応しない練習はこれを説いている。
というか仏教がまさにコレを説いている。
- 目の前の事を淡々と。
そのために、些末な物事に意識を拉致されないようにしろというためのテクニックと教訓の集合体が仏教としてまとめられている。
ストア哲学もこれに本当に似てるので、仏教が宗教観を感じて苦手という人はそっちでもいいし、それでも駄目ならACTやマインドフルネスストレス低減方、森田療法などの心理療法に頼るのも手だろう。
やるかやらないか。
これにつきる。
結局、PDCAをどれだけ早く回していけるかという事で、これの最もネックになっているのはDoの部分だから、そこの問題を解決するのに「反応しない練習」は有効なんだよ。
努力幻想:目標とは
目標を他者依存のものに設定するのも努力幻想の間違いの一つだと思う。
長くなるので割愛するけど
反応しない練習の中では。
- 競争社会に身を置き続ける
- 競争社会から距離をおく
- 競争社会の中で、別の目的で生きる
といった3つの視点で競争社会とどう向き合うか考えなおしてみてはどうかという問題提起がされている。
この3つ目は重要だ。
レビュワーの方はおそらく、1番めの考え方なのだろうけど、3つ目の考え方で生きていればトライ回数を増やしやすい。
例えば…僕のしごとで考えるなら
- 単行本の売上を10万部にする。ランキング1位を目指す。(競争社会的)
- 漫画を書かない(競争社会からの脱却)
- 自分が好きな漫画を描く(3番め)
- 単行本を一冊でも多くだす(他社比較がないので3番目)
こんな感じ。
二番目は職業放棄なので、クビという事になるが。
1番目と三番目には成果ぶつの違いは出ない。
市場研究するだろう1番目の方がうまくいきそうな気がしてしまうのが人間の性だが、実はそうではない。
成功は所詮偶然でしかないので、重要なのはトライ回数にあるからだ。

- 作者:デレク トンプソン
- 発売日: 2018/10/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
努力幻想:まとめ
また乱文が長くなった…。
まとめると
- 成功したいなら、楽にトライ回数を増やすための思考法を身につける
これが最強って事。
真剣にやってるかどうかとか、努力してるかどうかとか、苦痛を抱えてるかどうかとか、関係なくて、ただ数をこなし、体験によってどれだけ学習知をためたかどうかだけが、真の土台になる。
だからこそ、自分のコントロール外の問題に意識を奪われてトライ回数を減らしてると、結局なんのうまくいかんぞって話し。
執着を手放すってのはそういう事よな。
「努力」って言葉の定義が、「必死とか苦痛」ではなくて「一定の質を大事にしながら量こなしました」って事にシフトした時、本当の意味で楽に飯が食えるようになります。