隠れて生きよ ~いのいぬ.com~

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアなどについて書くブログ

気楽に生きるには運動と瞑想と小動物しか無い

気楽に生きる

これはもうもはや、知らず知らずのうちに人生の価値の一つになっていると言っても過言ではない

というか、今気づいたが

自分の人生価値の最上位はコレかもしれない。精神的平穏とかぶってるというか同義だとは思うけど。

余談から始まってしまったけど。

気楽に生きる。

これを実践するには

  • 運動
  • 瞑想
  • 小動物

しかない。と思う。もう一つ足すなら「食生活」だろうか。

気楽に生きるための運動について

基本的になんでもいいと思うけど、ある程度しんどいなーと感じる運動を週に150分程度+筋トレを週に二回しているなら十分だろうと思う。

HIITが効果的とか、言われてるけどこれも遺伝子レベルで合わない人がいる(しんどい運動をしんどいとしか思えない人)らしいし、HIITが苦手なら有酸素運動でカバーすればいい。

なんにせよ、運動は定期的に適度にしておくことに越したことはなく。

歩くだけでもメンタルが強化されるんだから、運動しないってのは自らメンタルを病ませようとしてるようなものだと思ったほうがいいんじゃなかろうか。

気楽に生きるための瞑想

瞑想も色々あるけど。効果が高いのは「慈悲の瞑想」だと思う。

胡散臭さはどうにも拭えないし、形式張ったものになるとなおさらなんだけど。

単純に、自分と自分の周りの人の幸せや、安全、苦しみや悩みからの解放を祈っていれば良し。

慈悲の瞑想が胡散臭くて無理なら

  • マインドフルネス瞑想
  • 歩行瞑想
  • 書く瞑想 の 筆記開示やマインドマップなど

で自分の思考と向き合い、受け入れる習慣を持つと良し。

ストア哲学でも書く瞑想は実践されていて、やり方などは科学的なエビデンスもないので詳しく知る必要はないと思うけど。

以下の書籍の序盤にストア哲学流書く瞑想の実践について書かれてある。

また、日々の振り返りとして書きの書籍の終盤にあるライフレッスンも自省を実践する役に立つと思う。

人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)

人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)

  • 作者:諸富祥彦
  • 発売日: 2012/09/14
  • メディア: Kindle版

ライフレッスンは9つあり、中にはちょっとしっくりこないものもあるので大まかな部分を終えば良し。

ストア哲学の瞑想も、ライフレッスンもメインは「もうすぐ死ぬとして、今日一日は自分にとって良い行動を行えたかどうか」を振り返る事にある。

人間放っておくと、些末な物事や妄想、悩みに頭の中を奪われ、煩悩に突き動かされ安易で短絡的な快楽に時間を浪費してしまう。

これは一見快楽にまみれて気持ちよさそうな人生だと思われるかもしれないが、誰しも経験した事がある通り「欲は満たし続ける事で吐き気をもよおす」うまいものでも食いすぎれば最悪の気分を引き起こすのと同じで、何事も適量が大事。

要するに、瞑想で重要なのは散漫な思考からの解放であって、その手法は慈悲の瞑想のように「祈り」であったり、マインドフルネスや歩行瞑想のように「感覚への集中」であったり、書く瞑想の「自省」であったりでこれらは厳密には科学的に違うアプローチなので効果量の差はアレと目指す方向は大体同じ

  • 些末な事にとらわれず、目の前の事に淡々と意識を向ける

これを行うための補助ツールでしかない。

気楽に生きるための小動物

人間と共に生きるのは、問題だ。

アドラー曰く、人間関係が人間の悩みのすべてだとの事。

人間と共に生きる事を目的にする人が多いが、残念ながら人間と入れば悩みはつきない。

それもまた人生と受け入れるのもよし。

出家してしまうつもりで人間関係を断つのもよし。

しかし。人間一人で生きるにはやはり虚しくなる瞬間がくる。

孤独が悪いわけじゃないがすがるものは多い方がいい

のである。

帰ってこいよ

帰ってこいよ

  • 発売日: 2020/03/11
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そこで登場するのが小動物。

なんでもいい。

すがれる存在として、死ぬほど可愛がってやれる存在と共に生きれば、余計な人間関係に悩まされず、孤独も感じない、気楽な人生が遅れる

気楽に生きる:まとめ

別段いつもどおり。

運動と瞑想はバリエーションが多いのが難点だけど、まぁそこそこちゃんと自分という存在を意識し、その瞬間にとどまる事ができるくらいの用量を満たしていれば、運動も瞑想も十分量であると言える。

ブッダの逸話集なんかを読んでると「修行すれば涅槃にたどり着けるわけではない」という事に気付かされる。

瞬間瞬間、物事をそのまま見る癖をつけられればそれでよい。

以前書いたが、サザンアイズでも同じようなセリフが吐かれるシーンがある。

修行は量ではない。思考の習慣を変えるためには量は必要だけど、第一の矢はいついかなる時も常に飛んでくる。

問題は第二の矢に対してどうアプローチするかであって、第一の矢を避けた状態で必死に修行したところで、なんの練習にもならないんだ。

まぁ、第一の矢をうけない環境を作って逃げてしまうのも一つの手ではあるけれど。

結局どこかで避けられない第一の矢は飛んでくる。

それは、死であったり病であったり、老いであったりするわけで。

これは避けることは不可能なんだから。受容の心を育てる事を目標に生きるのが最も効率的で確実だと思う。

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