隠れて生きよ ~いのいぬ.com~

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアなどについて書くブログ

死は怖いが悪いものではないと思えてきた

先日、「執着を手放すには諦観と死しかない」という話しを書いたんですけども

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「死は苦痛からの解放」であるとすれば悪くはないよなという答えにたどり着いた。

これは以前からうっすら感じてた事ではあったものの、納得はできてない部分があった。

それは

  • 生きる事は苦痛を伴うが、楽しい事もたくさんあるから、死によって失うのは嫌だ

と、どこかで思っていたからだと思う。

しかし、

苦痛とは何かを考えると、「楽しい事への執着」であるとも捉えられる。

目の前の仕事が嫌な時、そこから解放されたいという事は、つまるところ、平穏や楽しい事を求めていると言い換える事ができる。

多くの場合、精神的な平穏というよりも、湧き上がるような盛り上がりというか、笑いや喝采、歓喜のようなものが「楽しい」とされて

多くの人は言葉のチョイスこそ違えど、人生は「苦」と「楽しみ」の2つでできているような形で捉えていると思う。

僕自身そうだったし、人生論を語る時多くの場合この2つで語られるからだ。

中道

仏教には中道を歩けという話しがある。

楽しいでも苦痛でもない、真ん中の道。

岡本太郎なんかはこういう思想は嫌いらしいが、

感情の振れ幅に耐える精神あってこその「嫌い」と言い切れるものであり、どちらが多数側なのかは知らんが

僕のような人間は感情を振り回される人生は苦痛でしかないと考えてしまう。

だから、中道を歩きたい。

楽しいでも、苦でもない。真ん中の道を。

それを実践するのがマインドフルネスであり、物理的には死だ。

死を肯定する事は難しいが、は苦痛も快楽も無い状態にたどり着くイベントだと考えれば

それは別に悪くはない。

精神的な幸福というのは、真ん中にある。それは死によってもたらされるものに似ている。

もちろん思考力を失い、体も失う事になるが。

それを嫌だと感じる事もないのなら、それは悪くはないと言ってもいいんじゃないだろうか。

しらんけど。