隠れて生きよ ~いのいぬ.com~

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアなどについて書くブログ

人生の価値って探す必要ないのでは…?

人生の価値大事だよ~ってのは

ACT等の心理療法をはじめ、最近心理学界隈でよく言われてる事なんだけど

これ、いらないんじゃないかって思えてきた

人生の価値を探す事は執着を産む

人生の価値を追うことは

「この価値に沿って生きていないと駄目だ」と感じる事で執着を産むんじゃないか?と感じてきた。

すでに価値がはっきりしていて、その価値に沿って生きているのなら別なんだけど

現状、そうでない人が、人生の価値を探し、追いかけようとすると

現状にはその価値がないという論理を展開して、目の前の事から意識をそらす言い訳に使いかねないんじゃないか。とか。

結果的に、執着や眼の前の事からへの抵抗を産んで、逆に苦痛の種を作り出す存在になりかねないよなぁって

人生価値 は絶対的なものではない

そもそもとして

人生の価値を探すのか探すべきではないのかって事なんだけど

指針としてはっきりさせて置くことは大事だと思うものの

結果的には、その価値に沿って生きられるかどうかは自分の抗えない環境的要因や、身体的要因等々も関わってくるわけで

その価値に沿っていない現状を肯定できるようになる前に、人生の価値を定めてしまうと

「自分の思い描く人生を生きられていない」という自己否定、自己嫌悪に陥る。

または

すっぱい葡萄よろしく「今まで人生の価値だと思ってたものはあったけど、アレは一瞬の気の迷いだったよねぇ」みたいな自己欺瞞で心を守ろうと蓋をする。

人生の価値もまた、その状況状況で移り変わるもので

人の心が作り出すものなのだから、所詮、無常の存在。

人生の価値は絶対に必要なものではなく、あるといいよね~くらいのものでいい

絶対に必要なのではなく、迷った時にあると迷わずに済むよね~程度のものなんじゃなかろうか。

と思うようになってきた。

人間の平穏ってのは、「執着と抵抗をへらすこと」でしか到達できないというのが仏教的解釈だが

それだと、資本主義はまわらないし、物質主義の世の中でそんな生き方をするのはどうも生きづらいし、出世間的すぎるということで

西洋心理療法には仏教的要素を取り込みながらも「人生の価値大事だよ」みたいな話しを、便宜的にしてるように思えてきた。

たしかに、その瞬間瞬間、楽しいものを追いかけるのは大事だと思う。

楽しいと思うことに蓋をしたり、避けたりする必要なんて毛頭ない。

だが、それに「執着」してしまっては、苦痛を産む存在となるだけでいい事なんてなにもない。

所詮、価値なんてのはそんなものなんじゃなかろうか。

人生の価値 ってなんぞのまとめ

って事で

個人的に思うところも含めてまとめると

  • 人生の価値が必要だよ理論は、平穏を一定レベルで保ちつつ俗世間的に生きる上での詭弁
  • 執着や抵抗を生みかねない地雷かも
  • その瞬間瞬間を自分の倫理観に沿って楽しむのがベスト
  • 思考も感情も、健康も環境もすべて無常なのだから

そんな感じ。

やっぱ最終的には、仏教に落ち着く。

俗世間的ではないのは確かだから、万人には使えないんだろうけど

俗世間的でありつつ、本当に平穏にたどり着くのはまぁ困難な事だし、ほぼほぼ不可能だ

世間で、幸せだと言われてる条件を達成すればするほど、それを失う事を恐れ、執着し、手放す事に抵抗し続ける事になる。

まさか、心理療法にも答えがなかったとは。

移り変わる無常の世界を、ただ淡々と反応せず眺めて生きる事以外に、平穏なんて無いのか。