第一の矢は仕方ない。
しかし、第二の矢は受けないように生きていきたい。
そうは思いつつも、なかなかうまくいかない事もまだまだある。
マンガ「3×3EYES(サザンアイズ)」で、八雲がパイから離れてか、なんか静かな場所で瞑想修行してる時に、それを聴いたハーンがたしか…
問題から離れて精神修行してても意味ない
みたいな、セリフをぼやいてたんですよね。正確なセリフ完全に忘れてましたけど。
これはいいえて妙で、
「瞑想する」となったら、「静かな場所を用意しましょう」となるのが瞑想ガイドの基本なんだけど
「どこでも瞑想できる(受容の精神を常に維持する)」というのがゴールなので、「静かな場所でしか瞑想できない」ではそもそもこのトレーニングに意味がないんですよ。
一人でゆったり対処する事はできるようになった
実際、一人で対処できる状況であれば、一定の対処はできる。
- 筆記開示して
- 瞑想して
- 価値観の再定義をして
- マインドフルに価値観に沿って生きる
これはできる。
できるけど、外的な何かが突然加わると、それにどう対処すべきか、「まだ」今の所的確とは言えないし
この外的な要因というかイレギュラー、すなわち自分の予測範囲外の第一の矢に対して、常に第二の矢をさっと避ける精神状態を維持できるかどうかというのは
第一の矢の強さにも寄るところは少なからずあるとしても、できる事なら、すべての第一の矢に対して、第二の矢に対する対応を揺るがせないようなメンタリティを作りたいわけで。
難しい。全く。難しい。
慢性的な悩み(問題)と、急性的な悩み(問題)
つまるところ。
もんもんと、慢性的に悩む事はほぼほぼなくなったんだけど、急性的な物事に対しての対応はまだまだ未熟も未熟。
メンタルが揺らいでしまう。
揺らいでしまうと自覚できてるだけ、まだ昔よりマシなんだろうが。
うまくいかないもんだなぁと。思う。
突然「明日死にますよ。」と言われれば、僕はまだ余裕で動揺できる。
死を直前に揺るがない心
弟子の語り継ぎだから、どちらも本当にそうだったのか知らんのだけど
ソクラテスも、ブッダも、「死」を目前にそれを受容していたような最期だったと遺されている。
セネカもそう。エピクロスも最期は結石でゲロ痛かったらしいけど、アタラクシアの中で死んだとかなんとか。
みんな、ぶっちゃけどうかしてるよなぁと思うものの。
僕の目指す精神状態はそこで
それは暗に、死を甘んじて受け入れるというよりは、「死を受容する」という感覚で受け入れたい。
これらは事実ではないかもしれない。フィクションだ。とぶった切ってしまうならソレはそうかもしれないとしか言いようがないが、
仮に彼らの死への態度が偽物であったとしても、僕はその偽物を自分の人生で本物にしたい。
そうでなければ、すべての人間は、最期不幸の中で終わっていくという事が絶対的な真実になってしまう。
それはあまりにも、あんまりだと思う。
道中がクソでも、終わりよければすべて良しで逝きたいんだなぁ。おじさんは。

3×3EYES 文庫版 コミック 全24巻完結セット (講談社漫画文庫)
- 作者:高田 裕三
- 発売日: 2010/07/09
- メディア: 文庫