
- 作者:藤田一照
- 発売日: 2019/06/28
- メディア: Kindle版
- 苦しみ = 痛み × 抵抗
- 幸せ = 快感 ÷ 執着
ということで抵抗と執着を手放すにはどうすればいいんぞいという話。
「手放す」方が上手くいく
これは割とスピリチュアル系ではよく言われてた事だけど、30半ばになってなんかその意味わかってきたなと思うわけです。
仏教はじめとする東洋哲学、ストア哲学を中心とする西洋哲学思想、認知行動療法などの心理療法に触れて
これはいよいよ「執着と抵抗」が人間を苦しめてるな、と納得せざるを得なくなってきてる。
しかし、手放せと言われても、簡単ではない。どうすればいいのか。
具体策はあるのかというのが今回の話、で面倒なのでさっさと具体策
1: 感情について(メタ認知を身につける)
感情に対して、抵抗、執着するとそれは大きくなるばかりで良い事はなし。
感情に対するスタンスを「ゾウと象使い」に例える事があるけど、これは言い得て妙で
感情そのものは、自分ではないという事をしっかりと理解し
それと距離を置く事が大切になってくる。いわゆるメタ認知ってやつ。
そのために知っておくべきこととして
- 感情はコントロールできないと割り切る
- 人間には2つの視点がある。自己(メタ認知)と自我(エゴ)
- 感情はエゴ的視点
- 自信に対する客観視点(メタ認知)を身につける事で感情を「そのまま」にできる
という事。
2:目の前の事に集中する ( 今ここ思想)
瞑想は、呼吸や手脚の動き(手動や歩行瞑想)に集中する事で、「目の前の事への集中状態」を作り出す手法。
これはあくまでも疑似体験で、非俗世間的な行動。
だから正直僕は、瞑想に執着をするのもよくないと考えてる。(よくある利益主義的な瞑想をしよう!なアレとかね)
瞑想はあくまでも、「あるがまま、そのままに受け取る」という感覚を練習する手法にすぎない。
実際には、目の前から意識がそれている事を自覚し、目の前の事(今、ここ)に集中すればそれはマインドフルネスなメタ認知トレーニングとして活用できる。
これはおそらく、すべての事で実践可能だと思う。
- 感情への執着と抵抗を満たし続けている限り不快感は消えない
- そのままにするために、目の前の事に集中する
- 衝動がポジでもネガでも、叶えてやったところで一時しのぎにしかならない
- 淡々と今、目の前にあることに意識を向ける
3:価値を見直し続ける
自分の価値観ってのは第三世代心理療法のACTではなかなか重要視されている。
衝動によって突き動かされ続けていると、単純に快楽の強い依存物質やメディアに取り込まれてしまうから、価値観によって、自分の歩みを軌道修正し続けるのが大事だよーって事なんじゃないかと思う。
ブッダが実際、どんな生き方をしてたのかは知らんが
僕らは、そう簡単に俗世間から完全に離脱して、出家者になるわけにはいかない。
すべてを捨てて、すべての欲を放棄して、淡々と眼の前の事に意識を…と言われても難しいものがある。
だから、完全に執着や抵抗を手放すというのは俗世間で生きる我々にとって得策とはいえないのかもしれない。
ならば、価値を定め、振り回されないようにするのは一種の処世術になりうる。と思う。
- 価値を定める事によって、心の振れ幅を小さくする
- あれもこれもは、きりがない。ずっと感情に振り回されているのは疲れてしまう
- 必要なものだけを選び、それを大事にするために価値を見直す。
手放すコツのまとめ
僕も、仕事をしてる時、「あー冷蔵庫あけてなんかくいてー」とか「本読みてー」とか、「Youtubeでコント見てー」とかなるわけです。
その度に頭の中で「これはマインドフルじゃないな、一時的な欲求に振り回されてるな」と思って、作業に戻る。
ドーパミンのこういった欲求への持続時間は対して長くないので3~5分も耐えればほとんど消滅してしまう。
そして、また新しい雑念的な執着や抵抗が沸き起こってくる。「こんな作業めんどくせぇ」「ちょっと止めてゴロゴロしよう」と。
騒ぐゾウに従って、別にそうしたって構わないけど、そうやって自分を甘やかす事は、結果的に自分の脳を甘やかす事になる。
それは、幸福なようで幸福じゃない。やがて脳はすべての快楽と怠惰に慣れてしまい、惰眠すら怠惰でなくなって、生きることすべてにだるさを感じていくようになる。
これはが、何をしてもドーパミンによる快楽を得られなくなる瞬間だ。
そうならないためのストイックに見える「しつけ」こそが、結果的に欲に縛られない「楽な生き方」を実現する事になる。
所詮、幸福も苦悩も人の脳が作り出す幻想にすぎないのだから。脳を「そうしてやれば」結果的に楽になる。
それを「手放す」と表現しているだけであって、世の中の無常性同様、感情の無情性をを知る事がその助けとなるというだけの話。
その中身は煩雑化した思考と情報に対しての自制力を鍛えるための脳トレにすぎない。
これは宗教と一蹴する事だろうか。

- 作者:アチャン・チャー
- 発売日: 2019/10/26
- メディア: 文庫