何を得れば幸せになれるのですか。という答えのない問い。
これは答えられないのではなく、答えがないのだ。
何を得ても幸せには慣れないのだから。
幸福を獲得するという誤り
人間の目的は幸福であること
しかし幸福に「なる」ことではない。
おおよそ、「なる(獲得する)」ということには誤解が混じっている。
人の目的は存在している事に幸福を感じる事であり、外的に幸福として世間的に定義される何かしらを得る事ではない。

- 作者:藤田一照
- 発売日: 2019/06/28
- メディア: Kindle版
上の本には「Being」と「Doing」の生き方の違いが説かれている。
Doingは何かを得る事。Beingは存在する事。
あるがままに受けとり、受容するというのは、あらゆる心理療法に通じるメンタルハックの基本のようなもので
2000年以上前の哲学としてブッダやストア哲学にはそれが説かれている。
何かを得る事で幸せになれると説いている人の浅はかさや、またその自分の正論によって「得ることが出来ない人を不幸」と相対的に評価する奢りがは誠現代社会の毒だと思う。
何者にでもなれる
なんて言葉がちらついている事で、
何者かにならなければ幸福に慣れない
という誤解を産む。
いや。
誤解を煽っているのかもしれない。
そうすることで成立するのがセミナービジネスだからだ。
かつて福沢諭吉がそうした通り、塾、現在ではオンラインサロンへ勧誘するために「君は変われる。僕がその方法を教えよう」と。
そして月謝ビジネスで稼ぐ人たち。
幸福が、外に存在すると信じる人たち。
悲しきかな、これは心の呪いだ。これを宗教と言わずしてなんの言えばいいのか。
幸福は外には無いとう事実を、そういった人たちは決して教えてくれない。
ずっと、延々とネズミのように、ぐるぐると回るおもちゃの上を走らさせるつもりなのだから。
いや、もしかすると彼らもまた「そう信じている側」なのかもしれない。だから獲得する事に必死なのだろうか。
平穏でいるという事の、その方法と考え方を受け入れる事ができないように、消費社会は回っている。
幸福は成るものでも、獲得するものでもない。その事実はこの世界から見えなくなっている。
この誤解はまさに毒。