ブログを思考のはけ口として再開しようという事で、ブログをなるべく安価な趣味として継続するためにどうしていくかってのを考えてるんだけど。
いかがでしたかブログ を書かない人にとっては独自ドメインっていらないのでは?
と思えてきた。
実際、僕が読んでるはんてブログの多くは、独自ドメインをとってない。
手軽に続ける趣味として金がかからないってのは大事だ。
はてなProか無料かってところは、無料だとキーワードにリンクがついたりして邪魔くさいので価値もあるかなと思うことはあるけど
独自ドメインはいらない気がする。
でもミスで25年まで更新しちゃったんだなぁ。お名前ドットコムの更新ページでうっかり更新しちゃって。アレ最初に出てくるの罠だよなぁ。
金のかからない趣味を持つという事
僕は絵かきというか漫画家で、絵を描く事は趣味にも仕事にもなって一石二鳥なんだけど
どうしても遊んでいるつもりで描いてるものでも、仕事という意識がうっすらと出てしまう。
一切合切忘れられる趣味を持つというのは大事な事だと思う。
認知行動療法を学び始めて思ったことだけど、
- 何か行動を起こして、楽しいと感じる
というのは人間が、人生という本来無価値であるものを生きて行く上で重要な錨になる。
これが無いと足元はふらつき、虚無に襲われ、存在しない人生の価値なんてものを考えて、しまいには消えたいと思い始める。
そうなる前に、一つや二つ、無条件で楽しめるものを持っておくといいと思う。
それは僕にとって駄文を吐き出す事であったり、筋トレやジャグリングをすることであったりするわけだ。
ゲームの満足度
最近、行動活性化療法や認知行動療法のテクニックの一つである「行った行動の満足度や抑うつ度を採点する」というのをやっている。
- 運動した ⇛ 抑うつ度は 10%くらい
- 読書をした ⇛ 満足度は70点くらい
みたいな感じ。
これでわかったことだけど、一人ゲームによる満足度がかなり小さかった。
特に相手が関わるもの(格ゲーやFPS)は優位に低かった。
ストア哲学の根本思想、「自分次第でないものは軽く見よ(自分がコントロールできることに集中せよ)」ってものと照らし合わせて考えると
相手次第で結果や感情が揺らぐものってのは、心からの満足というのは得づらい性格なのかもしれない。承認なんかもこの部類。
過小評価、マイナス化思考などの認知の歪みに該当する考え方だけど
- うまくいったら、相手のおかげ(対戦ゲーム等の場合相手のミス)
- 失敗したら自分のせい
生産的な考え方で、感謝や思いやりを忘れない思考として捉えると良い考え方のように思えるけど、これは認知の歪みだ
自分の存在価値、自己肯定感というものを下げてしまう。
ゲームに対して、僕はそういう認知の歪みを通して接しているらしい。
本来なら、認知の歪みは直してしまいたい所だけど、これは、「幸い」と考える。
ゲームは単純に時間の浪費がすごいので、完全にやめてしまった方が僕にとっては良い生き方が出来ると感じるから。
その分、満足度の高い行動を行っていれば、更にQOLは向上する。
友達とゲームをした時の満足度は採点してないから、どうなるかわからないけど。
子供の頃からやってたのに
子供の頃からゲームばっかしてたから、もっと楽しめてるものだと思ってたけど、
やっぱりただの依存だったんだろうか。
認知の歪み同様、客観視してみないとわかってないことが、まだまだ自分の中には沢山あるのかもしれない。
まとまらないのでこの辺でおわり。

- 作者:デビッド・D・バーンズ
- 発売日: 2013/07/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)