隠れて生きよ ~いのいぬ.com~

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアなどについて書くブログ

エビデンスあり情報発信に価値はなくなった

情報より笑いを作ろうぜって話を以前書きましたけど。

その理由の一つ「科学情報が完全にコモディティ化してるやん」ってことについてちょっと書く

科学情報はコモディティ化した

一般人が生活を改善するために必要とする科学的エビデンスに基づいた具体策というのは

もはやコモディティ化したと言える。

例えば、メンタルハックに何をすれば良いのか。という事に関しては

  • 運動
  • 日光
  • 睡眠
  • 感謝日記などのポジティブ心理学的手法
  • マインドフルネスやセルフコンパッションなどの瞑想をを使った仏教由来の手法

などで具体的に何をすればいいかという事は、アホほど情報が溢れている。

Youtubeやブログを2-3チェックしていれば、得られるものが無いというレベルにすぐに到達する。

↑に上げた中でも

  • 具体的な運動量
  • どのくらい日光を浴びれば
  • どうすれば睡眠が改善するか

などの情報も、2-3のYoutubeとブログチェックで十分になった。

新しい情報発信者として、これらの科学的エビデンスに基づいたなんとやらを発信するには

よほどの権威、ハロー効果を作るための「肩書」が必要になる。

一般人がこれを発信するのは割に合わない。

Youtubeで数分で、一定の信頼性のある情報源から取得出来る情報を、わざわざ新しくどこの誰だかわからんヤツにすがる必要など無くなったからだ。

お金についても

もともとのこのブログの中心テーマだった「お金」ももはやその情報としての価値など無いレベルにまで洗練されてしまって。

  • アセットアロケーションを組んで
  • インデックス投資中心の守り中心の資産運用をしておけばOK

という2行で説明できる。もちろんこれだけで理解出来る人はそれなりの情報量をすでに持っているという事が前提だが

そのために時間をかけて、知らないブロガーの情報を漁らなくても、

インデックス投資についての書籍レビューなり、資産運用についての書籍レビューのYoutubeでも聞けば、数時間~数日程度で「解決できた」といえるだけの十分量の情報が得られる。

本すら読まなくて良くなった

本も過去情報のトレーストレースの繰り返しだと言う事はもはや自明の理で

トンデモ本ででも無い限り、目新しいものはほぼほぼ出てこない。

出てきたとしても、それほど目新しく有用性のあるものなら、Youtubeにバンバカと書籍レビューのネタバレがあふれる。

「事実を知るための読書」は、もはや自分で読む意味がなくなったといえる

インプット:情報取得はどこへ向かうのか

情報取得の矛先はどこへ向かうのか。

優位性をもった読書は「思想」に向かうと思ってる。

根底的に自分が何故生きるのかという事には理由はない。

実存的問題に、自分が答えを出す事は生きる上で必要な事だが、帰納的分析しか出来ない科学に思想を委ねる事はできない。

多くの人間が統計的に正しい生命活動をする事は、多様性の死であり、それは同時に人類の破滅を意味する。

ズレた思想というのは必ずしも発生し、こういった事を考える人間はそもそもズレている側なのだから、思想を学ばなければ答えは出せない。

そうでない、一般的な生き方が出来る人間は「死ぬ前に後悔する5つのこと」みたいな動画で観たものを実践すれば満足だろう。

それでも老病死の問題は避けられないが、一般的に生きている人は、一般的に死に悩みながら死んでいく。

それで十分だ。

死ぬ前に死の答えを持ち、納得するなんて事をしようするのは異常な所業だし、それ故に理解はされない。

世俗を離れるというのはそういう事だ。

その他のインプットはエンターテイメントで、これはアウトプット論に続く話。

アウトプット:何を発信すればいいのか

では何を発信すればいいのか。それは

  • 専門性
  • 笑いと感動

この二つ。

専門性についてはその人、業種の人しか知り得ない事や、体験した人しかわかり得ない事。

要はエッセイやノンフィクション。

笑いと感動は、フィクションも含めた、感情フォーカス型の発信。

前者にも後者の要素が加わる事はあるし、逆もしかり。というか組み合わせてなんぼだろうとは思う。

この中に組み込むのであれば科学的エビデンスのある情報というのも味が出ると思う。

例に上げるなら「マンガでわかる心療内科シリーズ」などはその一つだと思う。(正しいかどうかについては、読み込んでいないのでさておいて)

事実を事実として知るだけの情報インプットに時間を割く時代は終わった。これは事実が知れるならどんな文章でも、表現でも関係が無いからだ。

しかし、専門性や笑いと感動については、全く同じものを別の人が書こうとすると、そこの「面白さ」は変化する。

全く同じ条件でも同じものを作る事が不可能であるという事が、最も多きなメリットになるのが、笑いと感動で、それに専門性や事実要素が足せればベストかなという感じ。

つまるところ「事実」より「面白さ」を発信せよという事。

まとめ

  • 科学的うんたらは5分10分でまとめてくれてるメディアを利用し効率よく取得する
  • アウトプットは自分でなければ代替不要な「感情ベース」の発信をする

事実のみを発信したり、割も感動も無いアウトプットしてても仕方ないからやめましょうね…自分。

という話。

そろそろブログ閉じねばなぁ。