先日知人と「糖尿病」の話にでたのでとちりあえず思うことを適当に
血糖値は上がらないのかもしれない
糖尿病という観点でみれば、通常の砂糖飲料より問題はないのかもしれない
これに関しては、医療の事なので各自ちゃんと調べてもらうとして。
「上がらないかもしれないが」という事で話をすすめる。
ドーパミン受容体の減少
血糖値はあがらなくても、清涼飲料水は手軽に手に入る上に、甘味が多量に使われているため、ドーパミン刺激が発生する。
簡易的な大量のドーパミン刺激が、ドーパミン受容体の減少を誘発させるという話は、このブログで「依存」というテーマでもって書いてきた。
- 血糖値はあがらないかもしれないが、ドーパミン受容体は現象するであろう
と僕は考えている
これは、糖尿病とかそんなレベルではなく、幸福度を下げるという観点で「最悪」だ。
欲があるから苦痛がある
幸福論として「欲があるから苦痛がある」というのは仏教はじめ、色々な哲学でも変えて伝えられ続けている事。
これは「すべての欲」ではなく「ドーパミン型の欲求」と解釈すべきかもしれない。
求めても求めても、再現性がないどころか、大きくなるもの。
- バランスが取れない。
- 自分でコントロール出来ない
と感じた時には必ず自制しなければいけない。
そうしないのであれば、
欠乏に満たされる事になる。
際限なく、清涼飲料水を飲むと体を壊すのはわかっていることで、これが問題のないものたとえば「水(もちろん限度はあるが)」ならば大きな問題を呼ばない。
体を壊してしまうとわかっていて、尚且「無くても死なない」ものならやめてしまっても問題ない。
満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い
しかし、
- スマホがないとか信じられない~
と発言するJKのごとく、自制の出来ない、幸福とはなにかを考えない大人たちは
- ビールがなければ
- コーラがなければ
- ラーメンを食わなければ
- ………幸せにはなれない
と思い込んでいる。
強すぎる刺激は、浴び続ければ、「無くても良いもの」が「無いとダメなもの」になる。
これを依存と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
そして、それらを飲食することができなくなるまで摂取して体を壊し
もう二度と食べられない状況を作る事が幸福といえるだろうか。
スマホの通知にすべて反応して「時間がない」という若者をバカだと思っても、ラーメンを食べてラーメンが食べられない体になることは馬鹿ではないのだろうか。
自分の事を管理できないほどに「欲」を刺激するものからは、離れた方が 結局は幸福なのだ、と思うよ。おじさんは
「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。それと同じように、 満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。」ーーJ・S・ミル

- 作者:児玉聡
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