隠れて生きよ ~いのいぬ.com~

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアなどについて書くブログ

幸福論の結論:手放し続けて残った「やりたいこと」

幸福論の結論みたいなところまで来たかもしれない。

残ったもの

  • 瞑想
  • 読書
  • 筋トレ + 運動( 特に歩くこと )
  • 番外編として:英語などの新しいスキルや語学の学習

基本的にはこれだけ。

瞑想があったら他がいらなくなる

欲求に囚われることが人生に苦を産んでいるなら、瞑想している時間がもっとも幸福であると言える。

また、それに準ずる、「他のことを考えなくなる時間」は幸福に該当する。

最も単純なのが、運動(動作に集中するから)で、 次は読書(文字によって思考が本以外に向きづらくなるから)。

絵は、描き慣れてしまってるものに関しては、言葉が頭で駆け巡るけど、意識的にマインドフルになろうとすれば出来る範囲。ちょっと難しいけど。

新しい学習は言わずもがな。知らないことなので他のことを考えてる暇がない。運動やスポーツでも、知的スキルでも。

これらを選んだ理由としてはつまり。

  • 脳、身体的に、害が無くor少なくorメリットがあり
  • その物事にマインドフルになれる、または雑念を排除できる行動であるかどうか

ということになる。

「絵」の部分に関して

これは僕が漫画描きで、なおかつ絵をもっと自由に描けるように…という思いがあること、また絵はマインドフルネスに行える趣味としては割と認知されてることとしてここに並んでるけど、

人によっては、執筆だったり、DTMだったり、まぁなんか別のもので問題ないと思う。打ち込めるものならなんでもいいんじゃなかろうか。

ただ、それがやらされていることであってはいけない。

SNSの数字合戦とか、承認合戦に参加したくてやってる場合は注意かなと。

それと、注意しておくのは「座りすぎ」くらいで、基本はなんでもいいんじゃないかと思います。

ここにあてはまる趣味が「読書」であればアウトプットは忘れずに。考えない読書は情報中毒と変わらないので。

余談ですが、僕も、作曲や楽器の経験があるので、またそのうち…とは思ってるけど

求めることではなく、手放すことによって構築したこの生活をうまく回せるようになったら少しずつ手を出していきたいと思う。

変化がなさすぎるのも味気ないからね。

やりたいことの基盤は瞑想にある

つまるところ、行動にマインドフルな要素があるかどうかってことが、幸福を実感しやすい習慣なんじゃないかと思ってるんですよね。

人生は苦。

そしてその苦を生み出しているのは欲。

欲をかきたてるような行動は良い習慣、良い趣味になりえないわけです。どっかでメンタルをやってしまう。

  • SNSでの数字の競い合い
  • ジャンクフード
  • ゲーム
  • 承認やお金を稼ぐこと
  • 情報中毒

少量で自制できるなら問題ないが、際限がなかったり、延々とのめり込んでしまったり、他人と比較したり、欠乏感が助長されたり。

そういった趣味や活動というのは、世俗的、他者視点ではいい感じにみえても、実際は人生を不幸にこそすれど、幸福になんてしてくれないんだろうなってことです。

どこかに行って瞑想に戻ってくるってのはこれまでも何度か経験したけど、幸福論やら心理学やら、何やら色々学んでも、結局ここに立ち返るんですよ。

欲に流されず、目の前のことに集中し、コントロールできないものは放置して受け入れる。

ストア派の基盤思想であり、仏教含めあらゆる哲学で伝えられ、多くの哲学者、心理療法士が受け継いできた思想。

これがメンタルケアの最善策であって、幸福論の最高峰なんじゃないかって。

いろんな価値観があったとしても、そこに受け入れる力がなければ、際限がなければ、なんらかの強い欲、執着があれば、必ず苦しみますからね。

認知行動療法

後は 余談として、価値観というものへの認知の歪みを正すために、認知行動療法くらいは学んでおくと吉かなと思います。

僕らの脳は、あらゆるものにかなり認知を歪められてますからね。

正しい選択が出来るなら、SNSなんて使わないはずなんだけど、SNSは根本的な人の反応を強化するように作られてるので

一度使うと取り込まれちゃうんですよね。

怖い話で。

認知行動療法だけじゃなく、依存についても学んでおくと抜け出せるかもなぁ。

そんな感じ。

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