We must always change, renew, rejuvenate ourselves; otherwise, we harden.
我々は常に、自らを変え、再生し、若返らせなければならない。
さもなくば凝り固まってしまう。 ……ゲーテ
人は同じことを繰り返す。
ゲーム、SIRENに登場するゾンビ的な存在「屍人」
この屍人となる背景の説明は省くが、こうなってしまった者は、ただひたすら
生前行っていた事を繰り返すだけの存在と成る。
正確には覚えていないけど、殺してもうずくまるだけで完全にはしなないんだよね。たしか。
これを初めてみたとき「こうはなりたくないな」と思ったものだけど
大人とは、大体そういうものだということも、おとなになって知った。
セミリタイア後の人生
セミリタイア暇すぎ論については何度か書いたけど
お金ってのは結構偉大な活力になってて、それを得るための努力という動機から自己研鑽や新しい事に挑戦していくという人は少なくはない
一度、こういったスキルアップという人生の一つの楽しみを、市場規範で考えるように成ると
これを社会規範に戻すのは、行動経済学で示されているとおり、大変な作業だ。
僕は一度この穴にハマった。
半年足らずで抜け出せたが、抜け出せた原因と考えられるものについては以前書いたので今回は割愛するが。
おそらく、運動と、セルフコンパッション。
この経験から言わせてもらうなら、
お金というモチベーションがなくなったとき、停滞が生まれてしまわないように、準備をしてから
労働というつまらないものからの脱却を試みた方がいいと思う。
常に変えなければならない
適者生存という言葉があるが。
世の中は、弱肉強食ではなく適者生存だと言われている。
変化をすることを恐れるようになったり、変化することを拒むようになったりしていると、必要な時に変われなくなるどころか
変えなければならない事にすら気づけなく成るかもしれない。
スマホ入らないおじさん
一時期存在した、スマホ入らないおじさんもコレで
変える事の面倒さを、新しいものを批判したり、自分がもっているものがもっとも最強であるという考えによって、挑戦すら拒むようになったおじさんだ
コレは厄介だ。
そういったおじさんも今頃多数派スマホに変えていると思うが
おそらくフリック入力を覚えようとすらしないだろう
そういったおじさんは、懐古主義に身を任せるのは心地いいのは理解できるが、脳は使わないと衰えるという事も、知ったほうがいい。
変わる楽しさ
僕は、自分が変わる事は割と好きだ。筋トレや英語学習が自分にとっての趣味となり得るのは、少しずつ変わっていく、この楽しさを実感できるからだ。なかなか10年以上やってる仕事ではこの体験を得づらくなっている(これをずっと得られる人ってのが絵がどんどんうまくなる人なんだろうけど)
ただ、劇的な変化は嫌いだ
言語学者クラッシェンの言う「i+1」程度の変化が大好きだ
というか、脳の機能上、劇的な変化は誰でも苦手なのが普通なんだろうが、僕はそれが顕著だ。
もっと変わる事を恐れないようになりたい。
もっと自ら変えていけるようになりたい。
そう思えているうちに、「変えられる自分」に変わらなければ。
きっと変わろうとすら思わないほどに、固まってしまうんだろう。

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