友達捨てろ論は正直浅いと思う。
幸福とは人それぞれだ。
成功することが幸福とも言い切れなければ。
ましてや、「友達ではなく家族がいれば…」なんて条件と幸福を結びつけるのもまた、幸福とは何たるかの追求が浅い事を物語っている。
成功と友達は関係ない
時間の確保のために、友達を捨てましょう論は成功哲学界隈でよく見られるもので、昨今Twitterでもバズっていた。
友達と、成功は関係ない。
時間と成功もかならずしも関係があるとは言えない。
今勉強したい事があるなら、友達なら「ごめん、今はちょっとやりたい事があるから」と誘いを断ればいいだけの話で
捨てる必要はない。
それで縁がキレてしまうならそれまでで、関係とはそういうものだが。相手の時間観を尊重してくれる人は存在する。
成功と時間と友達の関係をごちゃごちゃにする人は、
友達の定義が「時間を奪い合うもの。成功を邪魔するもの」とでもなっているのだろうか
自分にとって友達とは何か。その定義をはっきりさせたほうがいい。
友がいたら成功できないというのは、
経済的にはうまくはいったが友達がいない 人の過去の肯定、自己を慰めるために発している言葉にすぎない。
僕も友達は少ないが、友達はいてもいなくても成功はできるし。
友達はいた方が良いと思っている。無論、いらないという意見も尊重するが。
「捨てる」という「自分が上になりましょう」という特別感の演出
余談になるが。
あなたは特別ですよ。あなたは優れているのですよ。という特別感の演出は、人間を囲い込む時に使われるテクニックの一つだ。
「私は特別だから。成功者側の人間だから、今の友達とは付き合っていられない」なんて傲慢な考えを生み出し
別のコミュニティに属させる事ができる。
こういった、友達捨てろ論を発しているインフルエンサーが、オンラインサロンなんてものをやっていたら「そういった意図がある」と思った方がいい。
家族がいれば幸せですか?
これもまた論点の挿げ替えで、友達と家族というのは人が作った定義、社会システム上の違いにすぎない。
所詮は人間関係だ。
たとえば、家族ができた。息子娘ができた、その息子娘に「友達なんて捨てなさい!」と教える親が出来上がったら、それはその子どもたちにとって幸せと断言できるだろうか。
これはコントロール、支配であって、子育てではない。
どんなに金があろうが、人間が人間を支配、洗脳する事は相手を幸せにしようとしているのではない。
これは軋轢しかうまない。
幸福の価値観の定義が条件によって成立する人間に典型的なパターンだが。
一つの物事、自己肯定のために認知的不協和理論を展開し、それを他人に展開する。
相手を尊重する事ができない。
人間にとって幸福とは、条件の達成ではなく、自分で決めた価値観を貫く事でしかない。
家族がそれの選択肢を消しているだけで、それは家族がいれば家族みな幸せなのではなく、自分が家族というものを自分の幸福に利用しているのではないだろうか。
家族とは、自分が幸福になるためのおもちゃではないだろう。
まとめ
別に友達がいても成功できるし。
友達がいなくても、家族がいなくても幸せにはなれる。
条件によって別の条件が達成されるというのは人間の傲慢と不幸を助長させる。
幸福について言えることといえば、それは自分がどう考えるかに集約される。
だから、成功も友達も家族も、必要ない人には必要ないのだろし、必要な人には必要なのだろうが、万人にそうであるとは限らない。
自分で考えて自分で選択しろ。
選択を回避するな。
あの人がいっていたけど、そうはならなかったと思いたくないなら、自分で決めろ。
なんにせよ。
センセーショナルな逆転的なコピーライティングの手法を用いた記事や動画に惑わされないように。