頑張るってなんぞや。
という話。
頑張るの定義
まずこの話をするとき、頑張るを定義しなければいけない。
頑張るとは
- 何か特定の目標のために無理をして、努力を続けること
- 自分が変えられる範疇をある程度越えたところにある物事へ、執着し続けること
こんな感じ。
要は、無理して何かをしてるかどうかって話dせうね。
頑張って得られるものってなんだ
頑張って得られるものってのはなんなのか。
色々あるとは思うけど、永続性のあるものは少ない。
永続性のあるものといえば、お金は一つ挙げられるけど。
金融ってのは、将来的にどういった流れを形成するかは未来のみぞ知る話なので、これも永続性があるかはわからない。
頑張る事で最も、永続性がないものは「自尊感情」だ。
自尊感情というのは、何かの成功、もしくは何かを所有、成果を出すこと、誰かより優位性を確保することによって湧き上がる自己肯定感の事としよう。
これはセルフコンパッションについての研究をしている、クリスティーン・ネフ博士が、セルフコンパッションと自尊感情との違いを定義するときに用いたもの。
彼女は、社会的な競争によって自尊感情を高めることが幸福につ ながるというステレオタイプを打破する形で、研究を始めた。自尊感情 が高くなくても、セルフ・コンパッションが高い人は自己受容しており、 幸福感が高く、不安や抑鬱が低いことや、そうした関係性が文化間で共 通していること明らかにした。

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ネフ博士の定義によるならば、自尊感情というのは、当ブログでもよく取り上げる承認欲求の一つであると考えられる。
承認欲求には際限がない、「常に」誰かに認めてもらえる状態、または誰かより客観的優位性がある状態を保っていなければ、自己承認も他者承認も得られない。
しかし、それはやがて、必ず潰える。
思考は鈍り、肉体は衰え、発想力は乏しくなる
人間は老いる。
これはどうにもならないことだ。
自尊感情は老いによって、やがて失われる。
自尊感情に縛られれば、自己優位性を担保するために、口やかましい存在になって、他人より優位性を確保しようとする、いわゆる老害老人になるのが関の山だろう。
人間は老いる。
他社比較による自尊感情を永遠に維持することはほぼほぼ不可能だ。
もちろん、そういった比較ポイントを見つけられればいいが。
多くの人は、収入や社会的成功、容姿、年齢、持っているもの、文化的背景は様々だがあらゆる面で自尊感情を高めている。
残念なことだが、「コレ一つが優位性を保っていれば…」というもはほぼない。
人間にはネガティブバイアスが存在しており、どうしても「負けている部分」に目がいってしまうように出来ているからだ。
自尊感情のために頑張るということ。
つまるところ、自尊感情を得るための活動、頑張りはかならず、やがて糞になる日がくる。
セミリタイア界隈でみられる
俺はセミリタイアしてのうのうと暮らしてるけど、労働者は大変ですね~カッコワライ
もやがて潰える。
多くの場合、老いればセミリタイア生活に達するし、その時もっているものは、セミリタイア人間より多くの活動量を誇っている労働者の方が優位性を保っている可能性が高いだろう。
結果には個人差があるだろうけど、所詮僕らみたいな引きこもりセミリタイアーは、持っている無形資産の量が、活動的な人に比べると劣るのだ。
むしろ、このようなマウントは、特定の分野でもって必死に自尊感情によって優位性を確保しようとする劣等感の現れなのかもしれない。
頑張ることは無駄なのか
頑張る事は無駄なのかというと、そういう事ではない。
自尊感情を高めるために頑張っているかどうかというところが、ポイントだと思う。
何かから逃げるために頑張っているかどうかが、ポイントだと思う。
無理をしているかどうかもポイントだと思う。
無駄にならない頑張りというのは
- 自分が楽しめているか(依存ではない事を前提に)
- 結果として、他人との比較、優位性を求めているものではないか
- 一歩踏み出せば手が届く範囲の物事をやっているかどうか(i+1の話)
以上が満たされているなら、それは自分のためんの頑張りだと思う。
- 楽しくないけど将来のため ( 今を生きてない )
- 他人より結果を出したい。他人に認められたい。(自尊感情、他者承認のため)
- 今の自分にはどう考えても無理だけどいつか手が届くはずだから… (心理的距離の乖離)
このような頑張りは一言、「無理をしている」と言い換えることができる。
もっと適当にと生きればいい。頑張りたい事があるなら、もっと楽にやっていいものだ。
大概、期限なんて存在しない。
適当に楽しむという事と頑張ること。
僕らは学校という枠組みで育ってきたから、なぜか一定の期間毎に謎の期限を設けて競い合うが。
そもそもそんなもの、無意味だ。
いつ結果を出そうが、結果が出せなかろうが、自分が満たされていればそれで問題はない。
客観的評価を乗り越える事が、人生ではない。
自分が楽しめるかどうかが、人生だ。
まとめ。頑張るアホと、頑張らないヒト
- 無理せず適当に、やりたいことをやれる範囲で、結果なんて気にせずに、適当に生きろ。
という話。
何かを得なければ幸福になれないなんて嘘で、自分を勝手に谷底に落とすような、セルフライオン儀式をやらないように生きたいものですね。