巷では、読書は高尚な趣味みたいになってるし、僕も読書は好きだけど。
結局のところ、多読家なんてソシャゲ中毒者と同じやでって思うんですよね。
自分の外のものを欲し続けている限り欠乏の奴隷
自分の外のものに幸福を求め続ける限り不幸ってのは、エピクテトスの哲学にも存在してて。
これはエピクロスや、老師も同様の発言をしてる。
ニーチェはそもそも論として虚無である事を理解した上で「自分の価値」をもって生きろ。と言ってる。
そういった意味では、ソシャゲ中毒も、多読家も
自分が持っていないものを得る事で人生をよく出来ると思って行動している、欠乏の奴隷にすぎないのではないか。
最後は内省するしかない
出来ることは少ない。
より善く生きるためには、理性によって欲を制する方が効率よく生きられる。
これは、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、怠惰を貪るあとにやってくる、活力の無い状態をいかに回避すべきかに焦点を置いたストア哲学の教えだけれど
実際、僕は半年ほど、怠惰なセミリタイア生活を送って、得たものは何もなかったと感じている。
セミリタイア生活が悪いのではなく、「セミリタイア生活でやりたいこと」を持っていなかった事だ。
この経験で、結局僕は絵を描く事に意識を向けている方が、幸せだという事に気づけた。
それは他の多くの人が感じる、人付き合いによる幸福論とは異質かもしれないが、これは僕の価値観だ。
これに気づけたのは内省の賜物で。
ストア哲学を知ったことにあるから、読書が完全に惡というわけではない。知ることは大事だ。
それはどんな行動にも言えること。
ゲームを通してでも、「人付き合い」を作れるなら、ソシャゲ中毒であっても多くの人にとって利益になる。
先日、Twitterでデレステオフ会か何かで出会った男女が結婚したというツイートが流れていた。まぁそういう事。
「何を得るための行動か」意識がもてているかどうかが重要なのかもしれない。しらんけど。
常に内省せよ。
内省せよと言われても。
内省せよと言われても、どうすりゃいいねんって人のために矮小な僕からのアドバイス。
- 歩け (運動)
- メモをとれ ( アウトプット)
- 瞑想しろ (マインドフルネス)
これだ。
歩くとアイデアが溢れ出す。
目元を取ると、考えをまとめられるし、箇条書きでも、頭の中の反芻を避け、タスクレベルまで問題を落とし込める
瞑想すれば雑念に囚われ苦しむ時間をへらすメタ認知力をつける事ができる。
成長したいなら、大きく分けて、運動、アウトプット、マインドフルネスがベストのソリューションだと思っている。
それを人によっては「筋トレ」だといったり、「筆記開示」や「目標設定」だったりと表現の仕方が違うのかもしれないが、結局指してるところは同じ。
今何をするかに焦点を当てるための、内省であると思う。
出来ることは少ない。
多読して「知ったところで」それを活かせないのであれば、所詮、何もしていないのと同じ。
読書中毒だ。善く生きるとは程遠い。
参考

- 作者:エピクロス
- メディア: 文庫