僕たちは死ぬ時、何も持っていけない。
それは知識とて例外ではない。
僕たちが知識を得るのは、それを活用するためだ。
上記の老人は、知識を得て、そのありあまる時間を禅に費やし、悟りを得たのだろう。
それが孤独である事をまた、受け入れる力となり
人は結局最後は一人である事を悟ったのではないか。
しらんけど。
哲学は無意味だ。
それは人は何をしていようがいずれ死ぬからであって、哲学した事をどう活かすかもまた、無意味だ。
何をしようが人はいずれその世界から姿を消し、忘れられようが忘れられまいが、消失した存在はその後を認知できないのだから。
無価値である事をまた、無価値であると知る事も、有益であり、この世界の虚無を知る助けとなる。
サピエンス全史よろしく、僕らは無価値なものに価値を見いだす天才にすぎず
目が覚めるところまで、真理を追いかければ
そこになにもない事に気づく。
死すらまた無価値であるのだから、わざわざ追いかける必要すらない。
この平坦な世界を、ただ当たり前のように生きることしか出来ないのか
それとも、平坦な世界を自分なりに楽しく彩るかは
その人次第。
何かがあるから楽しいのではない、何かがあるから幸福なのではない
何があろうとその精神の自由だけは、死ぬまで自分のものだから
どう感じるかを大切にしなければいけない。
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