よく、あなたは才能があるから、岡本太郎だからやれるので、凡人には難しいという人がいる。そんなのは嘘だ。
やろうとしないからやれないんだ。それだけの事だ。
もう一つ、うまくやろう、成功しようとするから、逆にうまくいかない。
人生うまくやろうなんて、利口ぶった考えは、誰もが考えることで、それは大変いやしい根性だと思う。
繰り返して言う。
世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。
一応世間体もよく、うまくはいくかもしれないが、本当に生きているのではない。
流されたままで生きているにすぎない。
承認欲求によって生じるズレ
僕の編集者でも「最近の読者さんは…」と口にする人がいる。
ただ、僕はそれを知ったところで何にもならない事を知っているから、「そういうのが流行ってるんだな…」と軽く聞き流している。
ストア哲学の根本思想にもある通り、「他人はコントロールできない」ことを知っているというか、それを人生の柱として捉えているからだ。
それは言い換えれば「他人を理解仕切る事は出来ない」という事でもある。
子供向け作品を子供だましとして表現する事が、子供に通じてしまうように。最近の読者を理解したつもりで「こういうのが面白いんだろ?」と描いたところで、全部読者には伝わってしまう。漫画も一つの表現である以上、そういうものだと思う。
何かをわかった風になる、小利口な考えで世渡りをしようとすると、岡本太郎さんが言う通り、他人の思惑の中で生きる事にもなる。
承認欲求や金銭欲にまみれて、何かを手に入れようとすればするほど、自分の意思ではなく、他人の意思に沿って生きる事になる。
これはヒドイ。
最悪だと思う。
しかし、世の中はそういう生き方を選択する人が多い。
それほどまでに人に嫌われる事を恐れ、それほどまでに貧乏を恐れている。
しかし、結果はどうだろうか。
他人に合わせて生きても、これらを回避できたといえるだろうか。
ぶっちゃけ個人的にはいい映画とは言えなかったけど、こんな記事を書いた。
他人に合わせて生きて、それでうまくいったとしても、それは残念ながら、自分の望む人生ではない。
他人に合わせ続けるという選択をする限り、自分は常にストレスの中で生きる事になる。
これを忘れてはいけない。
嫌われてもいいと思って開き直れた時に、
初めて本当の意味の承認と本当の意味の仕事の成果も出せるのだと、僕は思う。