最近日本語表示で使ってたYoutubeをまた英語表示にしたら、おすすめの上にカテゴリが表示されて、めちゃんこ便利になった井上です。
こんな感じ。
成功法則なんて思い上がりも甚だしい
成功法則なんて思い上がりも甚だしいって話。
なんで驕りなのか?
理由は
- 結果は他者の反応次第なので、それをコントロールする方法があるなんて不可能
- そしてそれが「出来た」と思い込んでる成功者が語るものが成功法則
- 思い上がりも甚だしい。
他人はコントロール出来ない
ベストセラー嫌われる勇気、ストア哲学の根本思想でも語られている通り
他人はコントロール出来ません。
それを「出来る」と思い込んでいるのは一時的にうまくいった人の思い上がりであって
それを「法則」に当てはめて世に広めれば、周りも幸せにできるかも!なんて善行的思想であったとしても、圧倒的に間違った思想を広げ
その結果多くの人は
あの本の通りにやったけど、うまくいかない……なんて自分は駄目なんだ
となる。
一発を手にした人間が偶然に得てしまった「ハロー効果(後光効果)」によって、その浅はかな哲学は説得力という虚構が備わってしまい、結果的に他人を苦しめることになる。
これはもちろん意図してはないと思う
だって、
成功法則を我が物顔で語る人間ってのは、本気で「自分の神託で信徒達を幸せにできる!」と思い込んでるんだろうから。
傍から見れば悪事でも、本人は正義と思ってやってることなんてざらにあること。
悪意はないのだろう。しらんけど。
成功法則が「やれ」に集約される理由
僕は成功法則を他人に伝えるなら、「やれ」の二文字に集約されると思ってる。
これは過去にも描いたけど、質を高めるには量を増やすしかない。
もちろん学びは大切なので、インプット無しのアウトプットには意味がないが、今回はそれはおいておいて。
自分のスキルアップにも、運を掴むにも量を増やすしかない。
もちろん時に一発目であててしまう天才なんてものがいるが、多くの場合凡人だ。いや、凡人は数が多いからこそ凡人と定義される。
つまり、統計的に考えても天才だと思いこみ、天才ベースのワークフローで生きるより、凡人として行動する方が理にかなってるでしょ。
努力は必要なのか問題
努力の定義によるけれど
必死こいて血反吐はいてなんて、そんなのもまぁまた意味がない。
心身健康でなければ何事も最善を尽くせないからだ。
別に寝る間を惜しんで本を読んだりしなくていい。
よく眠れ。
出来る範囲で量をこなせ。
あの人は自分より多くやってるから?
まぁ確かにそうだろうけど、世界はすべて優劣で決まっているわけではない。
安心して出来る範囲でやればいい。
まとめ
- 成功法則はその中に「他人をコントロールすること」が内包されている
- 他人はコントロールできないというのは鉄則
- 他人をコントロールする事を前提とした成功法則は自分を苦しめるだけ
- ではどうすればいいのか…?
- やれ!ただ、淡々と自分が出来る範囲で
こんな話。
たったこれだけの事を何十時間も掛けて有名編集者指導のタイトルですべてみたいな本を買ったり、Youtubeでオンラインサロンに入ったりそんな事するくらいなら
漫才でも見てた方がええ。