死 というのは
生きている限り、いつか訪れる、万人に共通の出来事だけど
これは「避けることができない課題」であり、いつ訪れるかもわからないので
問題は「どうやって長生きするか」ではなく
突然やってくる「死」と「どう向き合うか」という事が問題、というか課題という事になってくる。
「どうせいつか死ぬのだから、やりたい事をやれ」
よく聞く言葉だけど、現代社会にはお金というネックが存在していて
この問題をクリアしないと、生きる事ができなくなる
解決策としては
• 短期間でお金を稼ぐ
• 生活水準を挙げない
• 投資を学ぶ
これが適してると思うものの、それでも最低限の生活費を確保するだけの資産を築くというのは簡単な話ではない
そこで昨今自己啓発系のメディアで言われてるのが
• 好きな事をしてお金を稼ぐ
だが、好きな事をしていたところで、それが社会に不必要な事であれば、お金は発生しない。
お金とは、社会に何かしらの価値提供をした対価だからだ。
他人に価値提供する+ 自分が好きな事をしている という2つの条件を両立するのは簡単な事ではない。
• 好きな事をしてるんだから、それはお金以上の価値がある
これも事実で、好きな事をできてるって事は、お金以上の価値があるのも事実。
いやいややってる年収1000万の職を蹴って、年収400万の好きな仕事ができるなら、後者の方が価値がある、という話は以前描いたけど。
後者は1億円の資産を4%で運用しながら趣味に没頭してる状態に限りなく近い。
しかし、これもまた年収400万という生活できる水準の収入があるからこそ言える事で、
価値提供できない「好きなこと」では意味がない。
生産者になれ
ヒロユキ氏の「無敵の思考」の中では「作る側に回ること」を勧められている
消費によって得られる幸福、楽しいという感情は、短期間で消滅してしまうが
作る側なら、仕事そのものが楽しいという感情を生み出すのだ…という理屈。
これはアランの幸福論でも説かれている主張で、正しいと思う。
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しかし、彼らの主張はたしかに正しいとは言えるが
何にしても、お金を稼ぐと 楽しい、好き を両立するというのは困難極まりない。
僕は漫画家業をやっているが、生産側になろうとして、なれなかった人、道半ば諦めざるを得なかった人、色々な人がいる事を知っている。
それは明日は我が身…でもあるし、自費出版が用意な現代でも、稼げてない人が大半だ。
簡単な事ではない。
簡単ではないから、嫌なことをして生活を少しでも支えなければいけない…というのも確かに理解できるし、それは仕方のない事だと思う。
そして、僕自身も、今やめてしまいたい仕事をだらだらと続けている自省も込めて…。
とりあえず、一つ、どんな事情であろうが、絶対に覚えておかなきゃいけない事がある。
話が戻ってしまうけど、それは、人間はいつか必ず死ぬという事。これだけは忘れてはいけない。
生きる事と好き放題やるという事は、簡単に両立できることではないが
いつか死ぬのに我慢をし続けるというのも滑稽な話
なかなか、世の中そう簡単に決断できない事だらけで、理由をつければいくらでも理由をつけて「死」を遠い未来の事だと思いこむ事はできるが
「いつか」は明日かもしれないのだという事だけは、揺るぎようのない事実で
目を背けてはいけない事なんだろうと思う。
どこかで、思い切ってお金の恐怖に目を瞑らなければならないのかもしれない。
お金より死の方が重要だと思う。
だけど、僕らは、それを遠くの非現実的な出来事と思い込む事で、なかったことにして生きているけれど
死は、お金より本質的で、お金より事実として存在している。
目を伏せるのは、死に対してではなく、お金(将来への経済的不安)に対してなのかも、しれないなぁ。なんて。