それは楽しんで稼げるかどうかという事だ
楽しんで稼ぐお金は、時間が楽しみによって満たされているので、たとえ稼げなくても娯楽に興じていたことと同じ扱いになる
市場規範的な価値観でのみ仕事を見ていると、この感覚が薄れてしまう
年間200万で生活出来るひとが、ソレ以上のお金を無理をして稼いだとしたら
それにかけた時間は、ただ寿命をすり減らしている事と同じだ
未来は、存在する保証なんてない
存在する事が確実なのは、ただ「今」だけだ
この「今」を捨ててまで無理に稼ぐのは寿命を溝にすてているのと同じだ
余分に稼ぐなら、楽しく稼げ、好きな事をして稼げ、楽をして稼げ
それは容易な道ではないが、人生をともにするライフワークにもなる。自分にとってお金以上に価値のある存在になる
楽しくやれば稼げるわけではない
かけた時間の見返りが、その辺の最低時給のバイトより小さいかもしれない
それでも構わない
かけた時間に対して、その瞬間、自分がどういった感情を抱いたかどうかに対して価値を定義しなければいけない
お金で換算する癖は、楽しいという感情を簡単に殺してしまう