人間にとって、生きるという事は最大の幸福であるとも言える。
セネカは、「生きるというだけで、勇気ある行動になる事もある」と残しているが、現代、事日本のように安全な国においては
生きるという事が当たり前になりすぎて、その価値を見いだせない人が大勢いる。
死もまた、自然な事であるため、これを不幸だと言っているわけではないけれど。生きるという事実そのものに苦悩しなくて良い社会というのは非常にイージーな世界だ。
なぜ幸福を感じられないのか。
SNSに取り憑かれ、TVの金持ちセレブに嫉妬し、他人の結婚と自分の結婚を比べ、モノを欲し、給料に不平を言う
そして、どうにもならない事に依存する。
変えていかなければいけない。息苦しさを感じるなら。
自らがコントロール出来る事にのみ集中し、それ以外のものはすべて「どうでもいい」のだということに納得するしかない。
色がついている事に気づかなければいけない。
生きるための処世術もビジネスも、死ぬほどシンプルだ。勝手に色をつけて、難しくしているのは自分自身だ。
付加価値創造をしているフリの物事が世の中には山程ある。
惑わされてはいけない。
食っていけるという事のありがたみをもう一度見直そう。
未来に食えるかどうかわからないなんて言い始めるとキリがない。
未来に何が起こるかなんてわからないのだから。
そしてその未来に、自分が存在するかもわからないのだから。
今出来ることを、最大限やる事でしか何も解決しないし、それしかできない。
行動していれば苦しみなんて感じない。
悩むから苦しいんだ。
自分が影響を及ぼせる範囲の事にのみ集中。これができれば状況なんでいくらでも改善させられる。
どうにもならない事に時間や労力を割いてるから、苦しいままなんだ。