空挺ドラゴンズを読んでた。

- 作者:桑原太矩
- 発売日: 2016/11/07
- メディア: Kindle版
ネタバレあります
- 自由に生きる選択が出来るのに、わざわざそれを放棄して
- 謎の「みんなの価値観」に合わせて自ら不自由を選ぶ意味あるかね?って話。
って話。
娼館の女の子 カーチャ
使い古されたネタではあるんだけど。
娼館…というかその手の商売をしてる酒場って感じの店に売られて自由の無い女の子、カーチャの話。
使い古されたネタ、なのになんか響いたのは
空挺ドラゴンズが「空を飛び回るストーリーで」現代人から見ても自由な暮らし感が半端ないからだと思った。
その中で、街から出る自由すらない、男客の相手をする事になる縛られた存在の女の子が出てくる。
その対比はやはり大きい。
ここまでの不自由な存在に比べれば僕らは、死ぬほど自由だ。
自由ってなんだろう
現代人の多くは「お金があれば自由になれる」と思っている人が多いと思うけど。
ぶっちゃけ、それは間違っている。
この漫画に登場する、キャラクターならまだしも。
僕らは別に縛られているわけではない。
そういう生き方を選択しているに過ぎない。
脱する方法なんて山のようにあるのに、あらゆる世間的な価値観に縛られて自ら不自由を作り出している。
新しいスマホが欲しいだの、ブランドのバッグが欲しいだの、謎の高級肉が食いたいだの。
物欲やブランドや、そういう思想に脳を侵されて、自ら不自由な道を選んでいる。
そんな思考で自由を求め続けてる限り、自由には慣れない。
現代においては、自由に条件なんてない
やろうと思えば選択肢はいくらでもあるけど、それを選択肢内のは
自由がほしいのではなくて、ドーパミン反応を無限に味わいたいという欲なんだろう。
そして、これは終わることが無い事がわかっている。
ドーパミンはそもそも快楽物質ではなく、快楽を求めるために反応する物質で、事実欲するものを手に入れたらドーパミン濃度が薄れていく事実がある。
物欲や所有欲で、一時的な快楽を満たし続けた所で人は幸せには慣れない。
結局心の問題なのだ
結局幸福が心の問題だって事は最近すごく腑に落ちてる事なんだけど。
アニメとはいえ、カーチャのように条件に縛られているわけではない現代人が、日本という安全にお金がかからないチート国家にすんでる日本人が、なぜこんなに不自由を感じているのか。
それはそういう思考をしてるからに過ぎないんだろうなぁ。
不自由を作り出してるのは、自分の思考であって
政府がどうとか、お金がないとか、そういう事ではなく。まぁもちろん最低限生きるためのお金は必要だけど、それだってやりようによっては相当削減ができるわけで。
とにかく、最低限の文化的な暮らしを満たす条件は死ぬほどイージーな国なんだから、つまらん条件を設けずに、自由を謳歌して生きていくのが一番なんだろうなってそんな事を思ったり。
僕はセミリタイア生活を選択する上で、色々世間的な価値を捨てたけど、やっぱり最初は不安だらけだったから、それが出来ない気持ちが理解できないわけじゃない。
でも、奴隷人間になりたくないなら、世間的な、一般的な他人の価値に振り回されてると永遠に自由には慣れないんじゃないかなって思うんですよね。
それこそ、事業一発あてて上場するとかしないと人の欲望なんて達成不可能なレベルまで膨張するし、上には上がいる。
世間的な価値は人が相対的に比較するという仕組みを容赦なく利用してくるから、そんなものに縛られてると、永遠に不幸のままだろう。
ただ、自分が生き方を選択できるなんて、最高に自由な事なんだけど。なぜそれを放棄して、世間に合わせるのか甚だ疑問。
余談
主人公たち、及びカーチャの恋の相手となるジローの乗る船クィン・ザザ号は決して裕福な船ではないという所も、カーチャを自由にしてあげられない、決して救世主には慣れない所もまた絶妙な設定だと感じたり。
空挺ドラゴンズ、よかった。
作画も線画表現がキレイで良いです。トーンバシバシはってるのも好きだけど、線画での表現がうまいと「漫画だけの表現だよなぁ」って感じがして引き込まれます。