いのいぬ.com ~お金と哲学と死など~

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアなどについて書くブログ

ワニの100日目は「特別」ではないと思っていた。

この記事の要約

  • 死ネタのエンタメとして面白かったけど
  • 作品を哲学だと思って、死生観を共有できるという僕の勝手な思い込みはサクラのように散った

という話

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個人的には残念感がある。

作品としては面白いと思うし、それでいいと思う。

でも。

死生観を共有出来る人が出てきたと、途中までは思ってた。30日くらいまで。

死を描くための生。だと思っていたが、生を描くための死だった。

多くの作品同様、あのワニの物語も「生の特別感」を演出するための死だったのかと思うと、やはりエンターテイメントだったのかと思って正直残念感がある。

僕は、最初あの作品は哲学だと思ってて、生きるも死ぬも特別なものではなく隣り合わせであるという事を日常の中で表現する思考の種のような作品だと思ってたんだけど

100日目を見て

全然違ったがな…残念

となった。

一応いっておきたいけど、「残念」というのは、作品として質が低い云々の話ではないです。

自分と死生観を共有できる作者だと思ってたけど、上の記事同様「死を利用した生を称賛するエンターテイメントだったんだ」というのに、一気にそこに含まれてた哲学が崩壊してしまって残念だなぁという感じ。

やっぱり、他人と自分の価値観を共有できるなんて期待は持たない方がいいなと思った。

生と死に境目なんてないと思ってる

哲学者エピクロスは「死んだ状態で知覚が働かないんだから、自分の死なんて存在しないのと同じですよ」って話をしてて

うわー、すげ(語彙力

と思ったのはまだ去年の終盤の話。

死についての哲学者の言葉や、梵我一如や物理学などの概念を学ぶにつれて

僕は、生と死に境目なんて無いと思うようになった。

当たり前のように、生と死の間の変化は起こる事だし、そこに特別感を感じる必要もないと思ってて

でもこれをうまく言語化できないから、誰かと共有するのは本当にこんなんだと思う。

世間的には「死は悲しいもの」「生は素晴らしいもの」だとされているけど、僕はそこにすら価値は無いと思ってて

実存哲学的な、生きているから生きているだけであって、死んだら何かがどうなるわけでもないし、どちらにも何かしらの価値が付随してるわけではなく、ただ人間がそれにそういった価値を付与してるだけ過ぎない、と言うのが僕の考えなんだけど。

みんな当たり前のように生きていたいと思ってるし、死ぬのがコワイと思ってる。

僕は今すぐ死にたいわけじゃなくて、別に死ぬのが全くコワくないわけではない。

ただ、死と生の間の存在しない隔たりを、他人より感じていないし重要視していないだけ。

ネタバレ含みます(ワニの最期

それを共有できる作品だとばかり、途中まで思ってたんだけど

それは違ったのだ。

100日目で明らかになったけど。

ワニは小鳥を助けて死んだ…かのような描写になっている(実際どういう事なのか明確に書かれてないからよくわからん。

そして、ソレ以前に感じてた違和感は「日常の楽しさ」というもの。

何も無い事の素晴らしさ、平凡さがもっと描かれていくのだと思ってたら全然違ってて

幸福とはこうですよ。友達がいて恋愛をして…みたいな。そういう話になっていった所で、「あぁこれは違うんだな」と思った。

そしてラスト。

結局あのワニは

生きている事の素晴らしさを説いてしまった。

そしてその上キャラクターグッズ化して、永遠の命を手に入れてしまったのだ。

つまり、結果として、ワニは死の儚さと生の喜びを描くエンターテイメントとしてすら成り立たなくなってしまい、死の儚さを演出する事すら放棄してしまった。

無料作品で飯は食えないので、仕方ない事だし、同業者として理解できる。

ただ、僕が勝手に、この作品は哲学だと思っていただけで、全然違っただけの話。

他人に期待するものではないと改めて学んだ。

ただ、この作品はエンターテイメントとしては十二分に素晴らしいし、多くの人に死の存在を意識させた事は功績だと思う。

ハイデガーの死生観同様、死を意識しなければ人は全うに人生を歩むことはできないんだから。無論、エンタメとして消費した人たちがそれを意識するかどうかは別の話だけど。

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